客観的のあれこれ 1 <客観的とはどういうことなのか>

こちらの記事の最後の方で、「あ、観客って客観の反対ですね」とうまいことを言ったと喜んだのですが、「客観」あるいは「客観的」とはどういうことか、私自身あまり深く考えずにわかったつもりで使っている言葉のひとつだと、ずっと気になっていたのでした。



もちろん、検索すればこの言葉の意味がすぐにでてきます。
たとえば、「デジタル大辞泉」では以下のように書かれています。

1 主観または主体を離れて独立に存在するさま。⇔主観的。
2 特定の立場にとらわれず、物ごとを見たり考えたりするさま。「客観的な意見」「客観的に描写する」⇔主観的。

この説明が、日頃、私がこの言葉を使っているニュアンスに近いと感じました。


ただ、本当にそのとらえ方が客観的なのかと問えば問うほど、主観の積み重ねのような気がする場面が多くて、客観的になるとはどういうことなのかと蟻地獄に落ちて行くような感覚になるのです。



<自分の泳ぎを客観的にとらえるとは>



長く美しく泳ぐことを目的にして、30年近くになりました。
まったくの自己流なのですが、それなりにスピードも出るようになって、フォームもけっこういい線をいっているのではないかと思います。


ただ、泳いでいる私には、当たり前ですが自分がどんな風に泳いでいるのかは見えません。
競技を目的に泳いでいる人たちであれば、お互いにビデオで泳ぎ方を撮り合ったり、ラップタイムを計測して、客観的に自分の泳ぎを観る機会があることでしょう。


私も、たまにプールサイドの秒針を見ながら、だいたいの自分のペースを測ることがありますが、難しいのは、泳ぎ終わってその時計を確認する動きだけで、1〜2秒ぐらいのロスがでることです。
百分の一秒まで測る競泳の世界では、1秒といったら体半分かそれ以上の距離差になりそうです。


いまのところ、何で上達を感じ取っているかといえば、ふわりと抵抗無く泳げる感覚です。
その感覚があった時には、きっと美しいフォームになっているに違いないと思っていますが、ビデオで確認したらがっかりするかもしれませんね。


競泳選手の皆さんがメキメキと速くなっていくのは、本人の努力や能力はもちろんですが、時間を計測したり、ビデオで録画するといった客観的なデーターをとってくれる人がいるからこそなのだろうと思います。


自分の泳ぎを客観的にとらえるというのは案外難しいなと、今日も水の中にいます。


ということで、「客観的のあれこれ」という新たなテーマを見つけました。





「客観的のあれこれ」の記事のまとめ。

2. 9割がイメージでできているのではないか
3. 日本のニモと世界のニモ
4. 「三人の友人の議論」
5. 耳栓の対応能力のようなもの
6. 失敗から学んだ方が生活の質はよくなる
7. 見ている風景が違う
8. 危険と大丈夫の差
9. 「迷惑」からリスク回避の注意へ
10. 「3年半にわたる新型コロナウイルス対策を総括」