運動のあれこれ 28 武甲山資料館

西武秩父駅に降りると高い建物が少ないので、どこからも武甲山が見えました。「山懐(ふところ)に抱かれて」という言葉を思い出しました。

 

西武秩父駅にはたくさんの観光客が降りて、私と同じ方へ向かっています。

ちょうど羊山公園の芝桜まつり開催中のために、人も車も多かったようです。

途中から私は、少し小高い場所に立つ武甲山資料館への道を曲がりました。林の中の急な山道を登ると、そこにありました。

 

資料館を訪れる人も途切れることなくいたのですが、それでも館内にひとりになることもあって静かに見ることができました。

 

*「武甲山資料館建設の経緯」*

 

事前にホームページは読んでみたのですが、「誰が」主体で設立したかという点がいまひとつわかりませんでした。

入り口でいただいたパンフレットの「総工費105,000,000円」に「関連企業三社(秩父セメント三菱マテリアル武甲山鉱業)による寄付」と書かれていて、その経緯が展示されていました。

 

この資料館は、秩父盆地のシンボル武甲山が、石灰石採掘によって変容するので、採掘前の武甲山の姿と、そこに生息する動物、植物等の歴史的資料を展示し、それを後世に伝えるために、秩父自然保護委員会・清水武甲会長の提案により、昭和51年4月、秩父市綾瀬村秩父自然保護委員会、セメント関係企業3社によって、武甲山資料保存会を設立すると共に、その内容については、資料館建設準備室において検討を加えて参りました。その結果、動物、植物、地質コーナー及び、石灰石の利用等の産業コーナーを始めとした武甲山の過去、現在、未来を含めたあらゆる姿を網羅した資料館が、秩父セメント株式会社、三菱鉱業セメント株式会社、武甲鉱業株式会社によって当地に建設され、それを秩父市に寄附、一般参観者に解放されたものであります。 

 

昭和51年(1976年)ごろといえば、工業国を目指したための公害埋め立てによる海や川の自然の消失の真っ最中とも言える時代でした。

 

環境問題という言葉が一般に広がるもう少し前だったと記憶していますが、公害反対運動というのは政府や企業の責任を追求する敵対関係の運動のようなイメージがありました。

 

そのころにすでに、「武甲山過去、現在、未来を含めたあらゆる姿を網羅した資料館」を、企業とともに設立しようとしていた地域があった。

もしかしたら、当時は「箱物だけ作って・・・」という見方もされたのかもしれません。

時を経て、その地域の歴史を記録し、現在から未来を考える場所となっているように見えました。

 

削り取られた旧山頂は元には戻らないけれど、現在では採掘跡の植林も行われているそうです。

 

 

 

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