イメージのあれこれ 29 自然と人工

今日のタイトル、「定義とは何か」なんてだいそれた話ではなく、20代頃からの私自身の中の「自然と人工」の受け止め方の変遷です。

 

自然と人工的な物事を対比して単純に川や水辺が自然のままでうらやましいと感じていた頃から、思えば遠くへきたものだという失敗学的な話です。

「物事を知らないまますぐに答えに飛びついていた」という身も蓋もない話なのですけれど。

 

たとえば、採掘場の風景への感じ方も、一昨年とは大きく変化しました。 

正直なところ、山が削られた場所を遠目に見たときには、ちょっとざわざわと胸が痛んだのでした。

その後、武甲山資料館伊吹山の植林を知ったことで、少しずつ気持ちに変化がありました。

 

*「環境を破壊する」というイメージ*

 

私自身、環境に配慮するという意識が広がった時代にかなり影響を受けています。公害の時代を経て、さらに環境を守るという時代です。

ですから「自然=環境」「人工的=環境を破壊する」というイメージが、私自身の中では強くありました。

人工的というのは「人為的」と置き換えられるのかもしれません。

 

昨日の記事で紹介した金生山の地理には、続けてこう書かれています。

金生山は東西1km、南北2kmの石灰岩のブロック(赤坂石灰岩)で、西側の梅谷層(中生代ジュラ紀)と東側の沖積層とは断層で接している。かつての頂上部には更紗山(標高217.1m)、愛宕山(同217m)、月見山(同130m)と呼ばれるピークがあったが、石灰岩の採掘により現在はいずれも失われている。また愛宕山の正南には花岡山(標高115m)が存在したが、こちらも採掘により姿を消している。

いくつかの山の部分がざっくりとなくなっているのですから、以前だったら「現代はなんと自然を壊す時代なのだろう」と思ったことでしょう。

 

ところが川を訪ね歩くうちに、私が今安全にそしてさらに快適に生活しているこの関東平野も、江戸時代からの川をつけかえるというとてつもなく人為的に地形を変えるという段階があったことを知りました。

例えば瀬田川の氾濫にたいして、奈良時代には大日山(だいにちやま)を切り取ろうという考えもあったようです。

奈良時代ですからね。

 

もし私がその時代に生きていたのであれば、自分が安全に生き延びるためには山を切り取り、川を付け替えてほしいと思ったことでしょう。

 

「環境破壊」というイメージを持つことができるのも、自分自身の生活が安全になったからでもあるといえそうだと、そんなあたりまで気持ちが変化しました。

私が今、「自然」と感じていても、その昔「人為的に変えていった」歴史がけっこうあるものですね。

 

 

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