散歩をする 146 日原川

今日のタイトルの川名を正しく読めて、場所もわかるかたはどれくらいいらっしゃるでしょうか、特に東京に住む方々で。

私は最近、地図で名前を知りました。でも読み方は「ひはらがわ」だと思い込んでいて、現地に行って「にっぱらがわ」と読むことを知りました。

 

羽村から小作を歩いた後、久しぶりに小河内ダムに行ってみようかと地図を眺めていたら、奥多摩多摩川に合流する川があり、上流へとたどってみたら奥多摩日原森林館があり、そこまでバスが通っていることがわかりました。

羽村大賀ハスを見た後は、多摩川の支流をみることにしました。

 

奥多摩線*

 

小作駅から青梅線に乗り、青梅からは奥多摩線に乗り換えました。

90年代にこの奥多摩線には何度か乗る機会があり、とても好きな路線です。

多摩川のそばを走っているのですが、川は深い渓谷に流れていますから、川の姿を見ることができるのはごくわずかな場所だけです。

それでも急峻な山々に囲まれて、街道沿いのわずかな土地に街が広がり、なんとも美しい風景が続きます。

当時は青梅駅で購入した紙の切符を、無人駅の回収箱に入れて出ていました。

 

90年代はまだ、平日ならそれほど多くの乗客もいなくて静かな車内だった印象がありますが、2000年代後半に再び乗った時には、中高年層の方々がたくさん乗っていてにぎやかでした。

 

あの当時はたしか2両か3両の古い車両だったのですが、久しぶりに乗ったら新型車両で、しかも4両編成になっていました。そしてすべての無人駅に、ICカードのタッチパネルが設置されていました。

車窓の風景はあの頃と同じ、山が車窓に迫るぐらいに近づいてきて、時々、多摩川が木々の間から見えます。

 

急な傾斜に石を積み家を建て、畑があります。

20年以上前と同じまま、風雪に耐え街が守られていることに、30代の頃には感じなかった思いが湧き上がってきました。

 

*日原川*

 

お昼頃に奥多摩駅に到着し、東日原行きのバスに乗りました。乗客は私ぐらいだろうと思っていたら、平日にも関わらず、いつの間にか満席の状態になりました。

森林館より上流にある鍾乳洞へ行く人たちで賑わっていたようです。

 

つづら折りの道を進むと、奥多摩線よりもさらに山々が近づきます。

そして20mぐらいありそうな杉が山肌にへばりつくように植林されていて、そのはるか下に日原川の流れが見えます。大きな岩にぶつかるところもあれば、少し流れの緩やかな場所もあります。

その水量と、水の清らかさに驚きます。

こんな清流が多摩川に流れ込み、上水道の一部になっていることを全く知らずにいたのでした。

 

森林館には日原川周辺だけでなく、日本各地の樹齢数百年とか千年といった巨樹について展示されていました。

奥多摩町教育委員会が発行している「奥多摩」という冊子に、「巨樹と名水」の特集号がありました。

最初のページに以下のように書かれています。

平安期以来、羽村以西、多摩川上流地方一帯は「杣保(そまのほ)」と呼ばれていました。それは、この地方は武蔵国府への用材の供給地であり、良材を確保する地域であったからです。

(中略)

その昔、国府杣山として設定された、当町の山々の樹木は、すべて太古来斧を知らない天然木で、巨樹の林は続き、想像もつかないみごとなものであったと思われます。

 

奥多摩落ち着いた街と感じる理由は、こんな歴史からきているのかもしれません。

 

*日原川と奥多摩線*

 

森林館へ向かう途中に採掘場が山の間に見え、武甲山のように山が半分ほど削られている場所がありました。

 

Wikipedia日原川の説明に「川沿いに点在する石灰岩の採掘場」とあり、「奥多摩工業曳鉄線(えいてつせん)」に「奥多摩工業」がリンクされていました。

奥多摩駅のすぐそばにあったのが、この会社の石灰石化工場のようです。

 

奥多摩線は小河内ダム建設のために造られた鉄道のように思い込んでいたのですが、先に石灰岩採掘があったということでしょうか。

小河内ダム建設現場までは、氷川駅(現奥多摩駅)から東京都水道局小河内線が5年間、敷かれたようです。

 

 

地図で見つけた小さな支流から、また知らない世界が広がりました。

 

 

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