記憶についてのあれこれ  142 ブータン

1980年代半ば、一緒に2ヶ月タイを旅行したアメリカの友人と意気投合したのが、「いつかブータンに行きたい」ということでした。

 

今ではブータンという国名も「世界一幸せな」といった言葉とともに知名度がありますが、当時は観光で入ることはできない国で、よほどあの地域の政治に関心のある人ぐらいしかその国名を知らない時代だったと思います。

私自身は世界地図を眺めていて見つけただけで、他には何も知らなかったのですが、その友人に「ブータンを知っているのか!」と驚かれたのでした。

 

Wikipediaブータンの「日本との関係」を読むと、日本と外交関係樹立が1986年とありますから、私の記憶はそれ以前のことだったようです。

 

一時帰国した時に、書店などでいつもブータンの本がないか気にしていたのですが、当時はほとんどありませんでした。農文協図書館に行った時に見つけた西岡京治氏の本が唯一で、まだあまり画質が良くなかった写真を食い入るように眺めながらブータンをイメージしていました。

90年代に入ると、美しい写真集や紀行物もいくつか出版されるようになりました。

チベット仏教寺院、ヤクのバターや唐辛子を使った料理、岩を熱して作る露天風呂、そして南部地方の水田風景など、印象に残りました。

 

いつか行ってみたいと思いながら実現できないままにいます。

 

先日、分水へ行く際に乗った上越新幹線は、進行方向に向かって左側の席にしました。

5月に新潟から戻ってくる時には反対側の座席からの風景だったので、今回は違う風景を見たかったからです。

 

群馬から新潟あたりの県境では右手が河川沿いに開けた街の風景に対して、こちらがわの座席からはぐっと山側に迫るような風景になります。

上毛高原駅あたりで駅のそばまで斜面に作られた棚田が迫ってくることも、前回は気づきませんでした。

 

長い長いトンネルが終わり、浦佐駅の手前から広がる風景に、「あ、ブータンのようだ!」と思いました。

前回の座席からは水田が広がる風景でしたが、山側に広がる集落の家がブータンを思い出させるような造りでした。

 

木造の3階建で、正方形や長方形のすっきりした形です。

雪深い地域なので、おそらく1階は倉庫や納屋として使われているのではないかと思います。

ブータンの写真集では、その1階部分にヤギやヤクを飼っていた写真があったと記憶しています。

そしてブータンだと、住居部分に大きな仏間があってきらびやかな仏壇があるようです。

 

集落の中心に大きな寺院があるのですが、それも少しブータンに似ていました。検索すると毘沙門天のようです。

 

そして水田が広がる方に残雪のある高い山が八海山だったようで、写真集で見たチベットの高山地帯の風景に重なったのでした。

 

なぜ浦佐のあたりだけあの建築様式なのか、ぜひぜひ今度訪ねて見たいと思いました。

ブータンを訪ねるのは、ちょっと気力も体力もなさそうです。

 

 

 

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