散歩をする 327 帰りも水田三昧

筑前前原駅からJR筑肥線空港行きに乗ると、途中の姪浜(めいのはま)から福岡市地下鉄線になり43分ほどで博多駅に到着しました。

 

もう散歩も終盤でしたし、お腹が減りすぎて博多駅についたら何を食べるかばかり考えていたので、どこから地下に潜ったのか車窓の風景も記憶がありません。

車内放送で「車内の会話は緊急の場合以外控えてください」と流れていて、ほんとその通りとはっと我に帰り、すぐにメモしました。東京でもこれくらい厳しく車内放送をしてくれたらいいのですけれどね。

 

Wikipedia姪浜を読むと、「語源は神功皇后三韓征伐からの帰途この地に上陸し」と書かれていました。「三韓征伐」ってなんだったっけと検索すると、「年代はまだ確定していない」(Wikipedia)としつつも二世紀とか三世紀頃の話で、ちょっと気が遠くなりました。やはり九州は歴史の長さが違いますね。

その姪浜にこの地下鉄が開業したのが1983年(昭和58)だそうで、ちょうど私が初めて佐賀を訪ね、長崎をまわり博多空港から帰京した頃です。

当時の博多周辺の記憶が全く残っていないし、今回もまた博多の風景はほとんど見ないまま帰路につくことになりました。

 

 

*帰りの車窓も水田の風景*

 

空腹のために筑前前原駅からは予定より早く列車に乗ったので、一本早い15時15分発ののぞみに変更しました。

6月下旬、最も日の入りが遅くなる時期でしたから、まだ明るいうちに沿線の風景を見ることができそうです。

行きとは反対のA席を予約してありましたから、山陽新幹線の初めての区間の反対側の風景です。

長いトンネルに入る前に水田地帯が見え、ゆったりと川が流れていました。

あの息をのむ八幡製鉄所の付近も、A席側だと都市と遠景の山の風景でまた雰囲気が違います。

 

海底トンネルを過ぎ、風景が見え始めました。

新下関駅を過ぎ、小月(おづき)のあたりで遠くに干潟らしい場所が見えました。航空写真で確認すると河口に干潟が広がっています。

水田が見え、山を越え、また水田が広がり、その向こうに海が見えます。

新山口駅の先で川を越え、あっという間に徳山の工場地帯が見えてきました。

徳山といえばコンビナートとすぐに思い浮かぶくらい、半世紀前の小学生にとっては日本が重化学工業へと変換していく時代の知識です。

現在の小学生は、どんな言葉とともに今の時代を記憶しているのでしょう。

 

そうこうしているとまた長いトンネルに入りました。

GPSをオンにしたまま見逃さないようにしていたのが宮島で、やはり半世紀以上前に広島と宮島を家族で旅行した時の記憶を確認したかったのでした。

大野瀬戸がその間にあるようなのですが、車窓からは海が見えず、まるで地続きの山のように宮島が見えた不思議な風景でした。

 

あっという間に、広島球場が見え、この辺りから赤い瓦や魚の鴟尾(しび)のある屋根が増えました。

昨年4月は広島から呉線山陽本線を乗り継いだので、新幹線の車窓の風景は1980年代終わり頃にアメリカの友人を広島記念資料館に案内した時以来ですが、全く風景の記憶がありません。

ただ30年前とは違い、今回は昨年訪ねた笠岡干拓地新倉敷周辺の干拓地が遠くに見えると、すぐにわかりました。

 

博多から1時間40分、16時56分に岡山駅につきましたが、今までの区間が晴天だったのと打って変わって、岡山駅周辺は直前までかなり雨が降っていた様子でした。

旭川放水路を渡り、見慣れた山陽新幹線の車窓になりましたが、沿線の水田から目が離せません。馬の背中のように、真ん中だけ稲が植わっている水田がありました。あれはなんだったのでしょう。

田植えが終わったばかりの水田があちこちに広がります。

岡山の祖父母の家に遊びに行くのは夏休みや冬休みだったので、田植えの時期の田んぼを見るのは初めてです。

 

子どもの頃には想像もつかないほどの時代の変化ですが、半世紀前と今が別世界のような、それでいて車窓からは同じような懐かしい風景が広がっていて、半世紀なんてあっという間だと不思議な感覚に陥りました。

 

メモに残せたのは「千穂川蛇行美しい」「揖保川」「市川美しい」ぐらいでしたが、車窓から見えた川はどこも本当に美しく、歩きたい場所が増えました。

滋賀は相変わらず水田と落ち着いた家並みが美しく、惹きこまれていく車窓の風景です。

家路を急ぐ車の渋滞の向こうに、虹が出ていました。

木曽三川も田植え後の水田が夕日に映えて、また歩きたくなります。

 

実は行きの新幹線の風景では、大高トンネルを見逃す痛恨のミスがありました。

今度こそと思っていると記憶にあるショッピングモールが見え、その後ほんの一瞬で通過しましたが満足しました。

三河安城に明治用水が必要だったわずかの高低差の地形と矢作川沿いに広がる水田や、豊川放水路周辺も田植え後の風景でした。

 

天竜川左岸にも田植え後の水田が美しく広がっています。

この辺りで東に月が昇り始め、月にかかる雲がどんどんと変化し、新幹線のスピードと競争しているかのようです。

焼津を通過したのが19時15分、とうとう夕闇に街灯が見える風景になりました。

 

水田は健在、なんと充実した二泊三日だったことでしょう。

この帰りの新幹線内で、新たな散歩の計画ができてしまいました。困りましたね。

 

 

帰宅して、ふと久住昌之さんtweetを検索して見に行ったら、なんだか見覚えのある風景の動画がアップされていました。

それもそのはず、数時間前に通過した虹ノ松原でした。

最初から最後まで偶然が続いた3日間は、やはりドクターイエローのおかげのような気がしてきました。

 

 

 

 

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