世界はひろいな 29 <動物園のあれこれ>

葛西臨海水族園のマグロのことを考えていたら、いろいろとまた回想の世界へ。


1980年代半ば、東南アジアにある難民キャンプの仕事も終わりに近づいた頃、2ヶ月の休暇をもらってアメリカ人の友人達とタイに旅行に行きました。


ところで、「2ヶ月の休暇」を当たり前のようにくれるのが国際機関なのですね。
2年の任期だったのに、「あなたは2ヶ月の休暇を取れるから取りなさい」とむしろ上司が積極的に勧めてきたのでした。


チェンマイからチェンライへ、そしてゴールデントライアングル付近を2ヶ月もかけての旅でした。
日本人の感覚なら1週間ぐらいのスケジュールで終わりそうな範囲です。
1カ所に数日ぐらい宿泊して、その日の気分で行き先を決めての旅行です。疲れたらのんびり木陰で本を読む休みの日が入る、といった感じでした。


2ヶ月も旅をするなんて時間を持て余すのではないかというのは杞憂に終わり、あっという間に旅は終わりに近づきました。最期の数日はバンコク市内をぶらぶらと歩いたのですが、大きな動物園にも行きました。


タイ語は難しくて地名でさえも正確に覚えられなかったので、動物園名も記憶にないのですが、検索してみるとドウシット動物園のようです。

ドウシット動物園は先代のラマ5世国王陛下の私庭(植物園)だったものを1938年にバンコク都が譲り受けて動物園としてオープンしました。

上野公園や井の頭公園と同じ「恩賜」なのですね。


おぼろげな記憶では、広い池もあったように思います。
暑い中、広大な園内をまわるのに疲れました。
そしてそこにいる動物たちも「暑そう」で元気がないように感じましたが、本当はどうなのでしょうか。


なぜタイのこの動物園が記憶に残っているかというと、当時私が暮らしていた国はまだ軍事独裁政権下にあり、その首都にも動物園がなかったのです。
これが同じ東南アジアでも自由な国のタイとの違いなのか、と印象に残りました。
でも検索してみると動物園があるので、どうやらその点は私の認識違いだったようです。


1960年代初頭生まれの私たち世代には、動物園や水族館というのは「身近」というほどではないにしても、子どもの頃に一度や二度は訪れたことがるのではないかと思います。
動物や魚を実際に見る機会というのは、子どもだけでなく大人にも世界をもっと知りたいと思わせてくれるものではないかと思います。


でも私が暮らしていた国は、治安上も経済的にもそういう関心さえ持つ余裕のない状況でした。


5〜6歳ぐらいになると水汲みや弟や妹の世話だけでなく、路上で物売りをしながら働かざるを得ない子どもたちがたくさんいました。
学校に行きたくても、小学校でさえ経済的に通えない子どももいました。
少年兵として武装集団や民兵に入るしか、食べて生き延びる道がない状況にある子どもも多かったことでしょう。


動物園や水族館があり、楽しむことができるということはどういうことなのか。
また答えのない問いをひとつ抱えて帰国したのでした。


そうそう、以前さまあ〜ずが好きと唐突な告白をしましたが、「7つの海を楽しもう!世界さま〜リゾート」という番組も録画して観ています。


その番組で以前、東南アジアにある「30年前に大統領がアフリカの動物を放した島」を紹介していました。


当時の軍事独裁政権の大統領が自らの力を誇る為に、アフリカから野生動物を購入してある島に放ったのでした。
独裁政権が倒れた後、その島が観光化されたようです。


環境への影響も、そこに住む住民のことも考えていない無謀なことをするものですね。


ただ、もしかしたらその島の子どもたちには違う世界への関心の扉を開ける機会になるのかもしれません。


東南アジアでの生活は、私もいろいろなことを知りたいと思うきっかけになりました。
図書館通いが始まり、熱帯雨林漁業について、あるいは少数民族の文化や風習など関心はどんどんと広がりました。


その頃、この動物園についてもどこかで気になっていたところ、「動物園にできること『種の方舟』のゆくえ」川端裕人氏、1999年、文藝春秋)を図書館で見つけて読みました。初版がでた直後だったと思います。


内容の詳細は覚えていないのですが、「窮屈な檻に動物を入れて観るのは、人間の勝手ではないか」という気持ちに少し違う視点を与えてくれた本だったと記憶しています。


昨年、葛西臨海水族園のマグロ大量死のニュースが流れた頃から、もう一度読んでみたいと思うようになりました。





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