散歩をする 430 まだ通ったことのない場所を見て奈良から滋賀へ

平城駅から13時40分の近鉄京都線に乗りました。ここからは2日目の宿泊地の大津に夕方ぐらいに到着すれば良いので、疲れ方次第の行き当たりばったりのスケジュールです。

 

近鉄京都線もやり残した宿題のひとつで、2020年に巨椋池(おぐらいけ)を歩こうと出かけたのに、その広さと当日の暑さに負けてJR奈良線新田駅から近鉄大久保駅まで歩いて早々と退散した時に乗った路線です。車窓の外に広がる広い畑地が、もとは広大な池や湿地だったことに圧倒されたままですし、奈良と京都を結ぶ近鉄線の車窓の風景を全て見てみたいと思っていました。

その時に、琵琶湖から流れ出る瀬田川宇治川になり桂川と木津川と合流して淀川になるあたりの背割堤を歩きましたが、いつか木津川もずっと沿岸の風景を見てみたいと思い、昨年夏に三重県から奈良へ入って木津川の中流を眺めることができました。

 

その名も「木津川台」のあたりから堤防が近づき、左岸の水田地帯が広がりました。

いつもはJR奈良線で奈良と京都を行き来していたので山側はどんな風景なのかよくわからなかったのですが、悪石地形の丘陵地帯が見えました。

あんな山裾を走っていたのですね。

 

広々とした水田地帯が続きます。木津川から取水して用水路があるのかと地図を眺めたところ、山側にずっと溜池が並んでいるようにも見えます。

すぐ下流には、何度も洪水が起きた3本の川の合流する場所もあります。どんな水田と治水の歴史があるのでしょう。

 

興戸駅のあたりで見える対岸の山々は採掘でだいぶ削られているのが見えました。どんな産業の歴史があるところなのでしょう。

木津川の堤防が離れたり近づいたりしながら新田辺駅を過ぎると、木津川を渡りました。白い砂の河床が見えました。

 

しばらくすると懐かしい巨椋池の畑地が見えました。

山裾の高いところを走るJR奈良線よりは低地を高架橋で進んでいきます。春の景色になった宇治川の鉄橋を渡りました。その少し下流の右岸側に琵琶湖疏水の水が、琵琶湖から流れてきた宇治川に再び合流する場所があります。静かな水面なのにダイナミックな歴史ですね。

 

 

*3回目の琵琶湖疏水

 

川を渡ると一変して密集した住宅地になり、京都駅に到着しました。

14時37分、JR琵琶湖線米原行きに乗り、次の山科駅で下車して京阪電鉄で大津へと向かいます。1月に通った時は琵琶湖疏水にほとんど水がなかったのですが、この日は滔々とながれていました。

 

この路線は2020年3月に琵琶湖疏水を見るために上栄町駅から山科駅まで乗ったのですが、国道1号線が並行して峠のような山の中を走っていることが印象に残りました。

元気があれば大谷駅で下車して国道沿いに大津へ入ろうと思ったのですが、まだ歩く予定があるので断念しました。

 

2020年1月は琵琶湖疏水の取水口から山へと入る第一トンネルを見たあと山科側の第一疏水沿いへ、その2ヶ月後には京都の琵琶湖疏水記念館のあたりを歩きました。

 

地図で見るとその琵琶湖疏水が山へと入る場所の上もずっと歩けるようです。今回はそこを目指しました。

上栄町駅で下車して日赤大津病院の裏手の山沿いの道を歩くと長等公園があり、この山一帯が公園になっているようです。「明治35年、大津で最初に開設された都市公園である」と案内板がありました。明治35年近代の公園の黎明期に公園はどんな雰囲気で受け入れられていったのでしょう、

 

山沿いの住宅地を抜けると、桜並木が見えてきました。鶯も鳴いています。

疏水の水が山へと入っていく様子を上から眺め、疏水沿いしばらく歩いたところにある第一疏水制水門、第二疏水制水門からの流れが合流するあたりをしばらく眺めました。

地元の方でしょうか、水を眺めている姿がありました。うらやましいですね。毎日見ることができるなんて。

 

15時46分、京阪三井寺駅に到着して京阪電鉄の時刻表を見ると10分毎に電車が来るようです。ここまでで2万歩、早々にホテルへ向かおうと思ったのですが、もう一箇所訪ねることにしました。

 

疏水の水を眺めたら、元気が出てきましたからね。

 

 

 

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