記録のあれこれ 39 神奈川県水道記念館

寒川神社の参道の鬱蒼とした街路樹のトンネルのような歩道を歩くと、水道記念館の建物が見えます。

れんが造りの建物は、Wikipedia神奈川県水道記念館 によると、「日本に初めて広域水道を実現した寒川浄水場の旧送水ポンプ所」のようです。

 

寒川浄水場は、近代以降保養地として急速に発展した湘南地域の水需要の増加や、とりわけ葉山に皇室の御用邸があることから、地域における安定的な水道の確保と衛生状態の改善を目的として設置された。浄水場設置以前当時の湘南地域は、民間会社(湘南水道株式会社)によって布設された私設水道が一部あるのみであり、大部分の人々は井戸水を利用していた。そのため、水質不良や水量不足に悩まされ、早くから水道敷設の議論が官民の間で提唱されていた。そこで県は、芦ノ湖の利用調査や横浜市との共同計画を講じ各種計画を立案したものの、いずれも実現しなかった。しかし、周辺地域では水道布設を求める声は治まらず、ついに「県営水道期成同盟会」を結成し、熱烈な水道布設運動を展開した。これにより県は、上水供給の水源を相模川下流域の伏流水に求め、ポンプでの送水による最も経済的とする水道布設案を定めた。県議会の議決を得て、1933年(昭和8年)に水源地である寒川村で浄水場の起工式を挙げ、1936年(昭和11年)に工事が完成した。

 

事業費は555万円(現在の金額でやく36億円)に上り、その内やく147万円を横須賀市が負担した。創設時の給水区域は平塚市藤沢町茅ヶ崎町、鎌倉町、腰越超、逗子町、葉山町、大磯町、浦賀町、片瀬長野1市9町で、送水管延長距離合計は約51.2キロメートルにも及んだ。当時、上水道は市町村単位での比較的狭い範囲内で経営されるのが普通であり、県営の広域水道の実現は国内では前例のない大事業であった。(Wikipedia)

 

「みうらの水道」の歴史が、ここに関係していたようです。

 

中に入ると現在の神奈川県内の水道施設が大きな模型で展示されています。

ところどころに、タッチパネル式のクイズがあり、小学生ぐらいの子どもたちが関心を持てるような企画になっていました。

ちょうど館内には誰もいなかったので、そっとクイズを試してみました。なんと、5問中5問正解だったのは一つだけという惨敗。

まだまだ水のことについて勉強不足だと恥じ入りながら、後にしました。

 

そのあとJR相模線で茅ヶ崎駅へ向かい、相模湾を見に行きました。

江ノ島がすぐ近くに見え、そのはるか向こうにうっすらと三浦半島が見えました。

あそこまで送水管を敷いたのだと、その距離を実感しました。

 

 

 

「記録のあれこれ」まとめはこちら

水のあれこれも合わせてどうぞ。