水のあれこれ 165 水道山記念館

栃木駅周辺を歩いたあとは、佐野の厄除け大師もいいかな、足利の渡良瀬川周辺もいいかなといろいろと案はあったのですが、ふと桐生市の「水道山」が目に入り、ここしかないと決まりました。

 

12月下旬は晴れていれば日差しも暖かく、歩いているとコートを脱ぐほどのお散歩日和です。

ところが桐生駅に着いたとたん、晴れているのに風が冷たく吹き始めました。せっかくきたのですから、水道山に登ろうと、駅から北へ向かって歩き始めました。

地図で見ると近くですが、上毛線桐生駅を過ぎたあたりから上り坂になり、しだいに見上げるような坂道になりました。

水道山ですからね。

今まで訪ねた水道施設で平地にあったのは神奈川県水道記念館福井市水道記念館で、横浜水道記念館から野毛山はちょっとしたハイキングでした。

寒さも吹き飛び、ただただ登りました。

 

住宅が途切れ、途中、桐生市内が見渡せるような高さです。人気もなくなり、竹やぶや雑木林の道を歩くと水道記念館がありました。

桐生市では、1922年(大正11年)より水道敷設の調査が開始され、1927年(昭和2年)に渡良瀬川左岸一帯を水源地とすることに決定した。水道山(小曽根山・金毘羅山)に高区・低区配水池が建設され、高区からは山手方面に、低区から平地の市街地に通水することとし、1932年(昭和7年)4月には給水されるに至った。

 

水源地が現在もある元宿浄水場のようで、ここからポンプで水道山に送水し、「自然流下で市内に配水」されているようです。

ちょうど一世紀前、水道ができることをどんなに心待ちにしていたことでしょうか。

当時は、家の何か所もの蛇口から清潔で豊富な水がいつでも出てくるようになることも、毎日のようにプールで泳げるようになることも想像がつかなかったことでしょう。

 

水道施設を訪ねるといつも、ただただ水の来し方と行く末に圧倒されます。

 

なんだか満ち足りた気分でもう少し歩いてみようと、坂道をくだり、そしてまた登って桐生が岡公園に立ち寄ってみました。

今思えば12月27日という年の瀬に、動物園にも自由にしかも無料で入れたのでした。

ここも1916年(大正5年)に開園とありますから、こんな経済力のある桐生市の歴史も興味深いですね。

 

疲れているから泳ぎにいくのはやめて両毛線でのんびりと散歩に切り替えたはずが、けっこうな体力を使う散歩でした。

それでも水のことを考える、とても充実した散歩になりました。

 

 

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