タクシーでぐるりと北上川の分岐点周辺を回ったあと、柳津駅に着きました。
ここから気仙沼を経由して大船渡線で一ノ関まで行き、北上まで北上川を見ようと思っていることを話すと、タクシーの運転手さんが「南三陸あたりは、ほんとうに何も無くなっちゃったよ」と教えてくださいました。
ああ、やはり。
事前に地図の航空写真で見ても、沿岸部は更地になっている場所が多いようです。
ここからは、気仙沼線の中でも完全にBRTというバス路線だけになるようです。
前谷地駅からの線路がここでなくなり、今まで単線の線路があった場所が舗装されて、一般自動車や自転車・歩行者が侵入禁止の、バス専用道路になっているようでした。
一般道と交差するところでは、自動で遮断機が降りて、バスが優先して走るようになっています。
以前は列車が走っていたところをバスで走るのは、少し不思議な感覚です。
柳津からの乗客は、地元の方と旅行者らしい方、そして私の4人でした。
途中の停留所(駅)で止まることもありません。
反対側からのバスとの通過待ちの時間調整があるのは、単線の路線と同じです。
*越前戸倉から志津川へ*
しばらく小さな河川に沿った山あいの風景が続き、長いトンネルを出ると、川の堤防のかさ上げをしている風景が見え始めました。
白く見える新しいコンクリート部分が、おそらくそれまでの堤防より3〜4メートルは高くなっているようです。
その手前の工事現場に、仮設住宅に使われていたと思われるプレハブ住宅がいくつも重ねられていました。
この辺りは、もともと気仙沼線が海岸線より高い場所に走っていたのでしょうか。線路がそのままバス専用道路になっていました。
小さな川は全てと言ってよいほど、かさ上げ工事をしていました。
そして少し海岸部が開けた場所に出ると、そこにはホテルでしょうか建物が残されていて3階部分あたりに「津波到達地点」と表示されていました。
あの当時、ニュースでしばしば耳にした志津川でした。
「内陸部から海沿いに出てくる場所に位置するため、観光上有利な点となっている」「1977年(昭和52年)12月11日・気仙沼線が全線開通し、町内に3駅が開業」と書かれています。
目の前の美しい海や海岸線の風景の真ん中に、かなり高い真っ白な防潮堤ができていました。
沿岸部は更地も多いのですが、バス停のそばにはコンビニや食堂があって、人も車も集まっていました。
ここからたくさんの地元の高校生が乗ってきて、ちょっとホッとした気持ちになりました。
*南三陸町*
志津川を抜けると、バスは山の方へ坂道を登り始めました。
周辺には新築の家が多く、丘の上までくると真新しい病院と町役場を中心にした街が広がっていました。
真新しい病院の前のバス停で、ひとり降車して行きました。
あ、ここがあの南三陸病院だとわかりました。
そして、沿岸部にあって大きな被害を受けたあの公立志津川病院がここに移転したことと、記憶がつながったのでした。
地図を見るのは好きなのですが、震災でニュースになった場所を地図で見るのは避けていたのだと思います。
病院の一角に、「台湾の皆さんありがとう」と書かれた石碑がありました。
柳津から気仙沼までは約1時間50分。
まだ半分以上のバスの旅が続きます。
「散歩をする」まとめはこちら。