水の神様を訪ねる 11 海の神様

1990年代に1年間暮らした東南アジアのある地域は、葛西臨海公園から東京湾を眺めるような大きな半島の入り江のような場所でした。

 

左右に伸びる半島の沿岸部は平地が少なく、道路沿いに細長く集落や森が続いていました。

地元の知人が一緒であれば都市部から近い集落であれば沿岸部を訪ねることができましたが、地形的にも、そして政治的・文化的にも、外国人が一人で海岸線を通ることは難しそうな場所でした。

半島の別の場所へ行くには内陸部の幹線道路を使うしかなく、地図を眺めては、この海岸線をたどってみたいと叶わない夢をみていました。

 

ここ2~3年、国内のあちこちを歩き始めて、やはり日本でもこうした海岸線を一人で訪ねるのは難しそうです。公共交通機関がほとんどなく、バス路線があっても1日に1〜2本なので、乗り継ぎながらだとあの房総半島も数日ぐらいかかりそうです。

 

その中でもほぼ全ての海岸線をバスで回れそうなのが、三浦半島です。80年代ごろから観光地化して人が多そうなイメージでなんとなく避けていたのですが、油壺験潮所を訪ねてから時々、その日の天気と気分でふらりと訪ねています。

 

昨年11月に、海を眺めながら美味しい魚料理を食べた長井市場食堂で、小田和湾の対岸を眺めていつかあの海岸を歩いてみたいと思っていました。

 

2月中旬、社会から物がなくなり始め、これからどうなるのか全く予想がつかない時期に入っていました。こんな時だからこそ海を見に行こうと訪ねました。

 

*佐島から久留和海岸へ*

 

佐島のあたりの地図を眺めていたら、湘南佐島なぎさの丘に温水プールがあるのが目に入りました。横須賀市のプールのようです。

逗子駅からバスで佐島で降り、そこから少し小高い場所へと歩くこと20分、海を眺められるような場所にできた新しい住宅地の中に温水プールがありました。相模湾を一望でき、冬の澄んだ空気の中で富士山も見えます。

ひと泳ぎしてから、坂を下ると佐島漁港を中心に、道路に沿って昔からの家並みがありました。

 

地図ではこの先に小さな橋を渡って、天神島があります。そこが二つめの目的地。

三浦半島の山・川・公園」というサイトの「天神橋」に説明がありました。

横須賀市・佐島地区の天神島への入り口に架る小橋で、天神社参道のイメージを擬宝珠の高欄で表現している。島の中央にある天神社は明治の初めに開設され、毎年3月に大漁安全祈願の祭りが行われている。橋の構造はPC中空床版橋で橋長14.5M、幅員4.2M。昭和61年に竣工した。小さい橋であるが海を渡る橋である。

 

橋を渡ると、天神社の右横に天神島臨海自然教育園の入り口があり、ぐるりと海岸線を歩くことができました。

ここは1965年から動植物や景観が保存されたそうですから、環境に配慮するという意識の広がりの中でも早い時期かもしれませんね。

ほとんど人がいなかったので、しばし、相模湾雄大な風景を独り占めしました。

 

そこからしばらく海岸線を歩くと、人を寄せ付けない場所があるようです。地図では淡嶋神社十二所神社があり、そこから一旦、幹線道路のある高台へと道が描かれています。おそらく水の神様だろうと訪ねる計画だったのですが、GPSを使いながらなのになぜか道を失い、訪ねるのを諦めました。できるだけ海岸に近い道を歩いて秋谷漁港へと出ましたが、このあたりから急に海風が強くなり始めました。

お昼頃までは無風で春のような穏やかなお天気だったのに、風が吹くだけで天気が一変するのが海沿いですね。

 

本当は地図で見つけた秋谷配水タンクや神社を訪ねて、このあたりの水の歴史が何かわかるかもしれないと思っていたのですが、海沿いの道を前を向いて歩くことさえ大変な風になってきました。

予報では、風速数mぐらいだったのに。

 

体も冷えてきたし、お腹も空いたのに、午後2時ごろになると開いているお店もありません。

どこからかカレーの良い香りがしてきました。

海を眺められるカレーのお店を見つけて、迷うことなく飛び込みました。

窓の向こうに広がる相模湾は白波がたっていました。みているだけでも足がすくみそうな、海の風景です。

 

今回はなかなか水の神様に出会えないのですが、食欲の神様のおかげで生き返りました。

 

*海に立つ鳥居*

 

風がなければ歩けるだけ海岸沿いを歩く予定でしたが、強い風で断念。バスに乗り、葉山でさらに海沿いを走るバスに乗り換えました。

 

最後の目的は、以前、真名瀬海岸を通った時に海の中に立っていた鳥居を訪ねることでした。

いつ頃、何のために立てられたのだろう。きっと海の神様に違いないと、気になったままになっていました。

三浦半島の山・川・公園」の「真名瀬海岸」では、「沖の岩礁地帯である名島には鳥居が立ち龍神が祀られている」とだけ書かれています。名島で検索したら、ここは森戸大明神の鳥居であることがわかりました。1180(治承4)年に建てられた源頼朝由来の神社のようです。「この時代は岩場でつながっていた」らしいことも書かれています。

 

今回もまたバスの車窓から見るだけになってしまいましたが、今までにない強風を経験して、海のそばで暮らすためにたくさんの祈りが捧げられてきたことがもう少し実感できました。

 

日本では、こうした鳥居や先祖のお墓が岩場に立てられている風景をよくみますが、そういえば私が過ごしたあの東南アジアの地域ではそういう人の手によって建てられたものを見た記憶がありません。

海の神様も、地域によってさまざまな形があるのでしょうか。

 

 

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