讃岐国といえばうどんですね。
遠出をすると食事を忘れて歩きまわるので、しっかりしたご飯は1日に1回とかその土地の名物を食べずじまいに終わってしまうことばかりです。
そして旅行中には野菜不足になるので、野菜が山盛りの麺類とか中華料理をむしょうに食べたくなります。今回の散歩でも1日目の阿南市でがっつりと中華丼を美味しくいただきました。
2日目の鳴門のおうどんに惹きつけられて、やはり琴平では讃岐うどんを食べようと決めました。
参道までのお土産屋さんの通りには「讃岐うどん」の文字をあちこちで見かけます。
悩んでいると時間がなくなりそうだったので、ふらりと入りました。
「讃岐うどん定食」、かまぼこがのった讃岐うどんと鶏の炊き込みご飯がセットになっています。旅も終わりだったので昼から生ビールを頼んだと思うのですが、記録に残していないのですでに記憶があやふやです。
「ああ、これこれ!」と思ったのは、のっていた蒲鉾が祖父母の倉敷で子どもの頃から時々食べた焼き蒲鉾だったことと薄口醤油の出し汁だったことでした。蒲鉾も東西の違いは大きいですからね。
うどんというとこういう出汁の効いた柔らかめのうどんで、特に体調が悪い時とか食欲がない時にはこの味に戻っていきました。
成人してからはしばらくうどんから遠ざかっていたのですが、父の面会で往復する時に食べた駅のうどんは疲れきった心身を蘇らせてくれるものでした。
ところで2013年に引用した中井久夫氏の文章に「風邪をひいたら熱いおうどんを食べて」と「家庭医学」について記されますが、体調の悪い時のうどんはいつ頃から社会に定着したのでしょうね。
あちこち遠出をするようになってからは、稲庭うどんとか久慈駅のホタテ貝うどんとか各地のうどんを食べる機会も増えました。
*うどんのブームの記憶がない*
2000年代に何かの番組で香川県のセルフうどん店で「ぶっかけうどん」の放送していたのですが、「そんなに香川はうどんが有名なのか」「そんな食べ方があるのか」と驚きました。
その違和感をそのままにしていたのですが、Wikipediaの「讃岐うどん」の「歴史」を読むと、それほど私の記憶もずれていなかったのではないかとわかりました。
この頃まではうどんが香川の名物であるという認識はそれほど一般的ではなかったが、1970年の大阪万博で和食チェーンの京樽の運営するレストランのメニューの一つとして供され、ガラス越しに手打ちを実演し毎日6,000食を売り切るなどし、知名度も上昇していった。
「第1次:1969年」「第2次:1988年」「第3次:1995年」そして「第4次:2002年」とブームがあったようで、2000年代はじめに競泳観戦にハマるまでほとんどテレビを観なかったのでこのブームに気づかなかったのだろうと思います。
うどんに「コシ」を求める変化も記憶になかったのですが、1970年代後半に「コシ」が追求されるようになったように書かれています。
私にとってはうどんは柔らかいものだったのですが、昨年初めて東貝塚と酒巻で「コシのつよいうどん」を食べました。以前富山で食べた氷見うどんは「コシがある」と思ったのですが、あれは柔らかい方に感じるぐらいの「コシ」でした。
鳴門や琴平で今回食べたのは、ブームの前のごくごく普通に「うどん」と思い浮かべていた硬さと味でした。
どうやら私は「うどんのブーム」とはずれて生きてきたようです。
半世紀も経てばこうしたブームも立派な歴史の一つですけれどね。
ところで、「讃岐うどん」の「江戸時代以前」に、元禄末(18世紀初頭)の「200軒あまりの建物がひしめく金比羅宮門前町の活況を描いたこの屏風には3軒のうどん屋が認められ」と書かれているのですが、当時のうどんはどんな感じだったのでしょう。
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