水のあれこれ 112 永平寺と永平寺川

福井駅に到着したら、その10分後に出発する特急永平寺ライナーというバスに乗りました。

これに乗り遅れたら、九頭竜川流域を2日間で見て歩く計画が全て変更になりますからちょっと焦りましたが、1分の遅れもなく特急は福井駅に到着しました。

このバスを利用すると30分ほどで、永平寺に到着します。

 

父もまたこれを利用したのだろうか、それとも鉄道の勝山永平寺線を利用して永平寺口からバスに乗ったのだろうか。

父が永平寺で修行をした当時のことは母の記憶にあまり残っていなくて、何年だったのか、季節はいつだったのかさえ聞き出せませんでした。

ただわかっていることは、当時、修行していた関東の曹洞宗のお寺から永平寺の修行への話があったことだけです。

定年過ぎて60代頃だったのではないかと思いますが、若いお坊さんたちに混ざって、何を思っていたのだろう。永平寺までの車窓の風景を見て、何を感じていたのだろう。

 

*湧水があちこちからあった*

 

正門から永平寺までの道は石畳で整備されていて、その横を小さな川が流れていました。

修学旅行の時の記憶には全くない川です。

永平寺川だそうで、寺の敷地内の流れは堤防が石造りで、川のすぐそばまで遊歩道があり、周囲の山の風景ともあって、それはそれは美しいものでした。

近くにあった案内図には少し上流に永平寺ダムが書かれていて、そばまで遊歩道があるようです。

 

永平寺の寺内に川があってその上流にダムがあるなんて考えたこともなかったので、先にそちらを見たいと思いました。

平日でも結構な人が参拝していて、ほとんどの人が本堂へと入っていく中、永平寺川に沿って上流へと歩いてみました。

 

山道のあちこちから湧水が滲み出ていて、場所によっては小さな滝になり、山の静寂の中、あちこちから水音が聴こえてきます。

 

案内図ではダムまでそれほど遠くなさそうでしたが、その日は福井県も34℃近い暑さで少し歩いただけで汗が吹き出てきたことと、「熊出没しました」の警告を見て引き返すことにしました。

 

帰宅してからWikipediaの写真を見て驚きました。小さな貯水池ぐらいかと想像していたので。

高さ57メートルの重力式コンクリートダム永平寺および合流先である九頭龍川の治水、永平寺町福井市などへの利水を目的としたダムである。当初永平寺川ダムだったが、管理に移行する際に改名された。同じくダムによって形成された人造湖は水源の大佛寺山より大佛湖と命名された。

「着手年/着工年 1991年/2001年」とありますが、おそらく父が修行をしていた頃です。その時の雰囲気はどんなものだったのだろう、今となっては話を聞くこともできません。

 

永平寺周囲の水の音に来て良かったと思いながら、本堂に入って見ました。

見学者にお坊さんが説明をして、これから本堂の内部の見学に入ることろでした。

時間はあったのですが、ふと、ためらう気持ちが出て来てそのまま私は外へと出ました。

 

「中を見るにはまだまだ準備不足」という声が聞こえて来たような、何か畏れに近い気持ちに突然なったのでした。

厳かな雰囲気に圧倒されたところもありましたが、むしろ白を黒に、黒を白に変えさせられた父世代の世俗の葛藤という点で、生ぬるい自分を突き詰められたような気がしたのでした。

 父は若い頃から自ら進んで座禅を始めたのではなく、終戦直後の精神的に不安定だった状態を家族が見かねてお寺に頼んだことがきっかけだったのですから。

 

 

さて、入り口でいただいたパンフレットの最後に「瓦志納」についてのお願いが書かれていました。

永平寺は非常に雪の深いところです。そのため毎年多くの屋根瓦を取り替えなければなりません。そこで、永平寺では参拝の方々に、瓦修復の御志納をお願いいたしております。 

 

冬に積もった雪が湧き水になり、九頭竜川へ流れ込む。

いつか、雪深い時期にもう一度、永平寺を訪ねてみようかと思いました。

 

 

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