水のあれこれ 310 九頭竜川と永平寺川と鳴鹿大堰

えちぜん鉄道永平寺口駅から古い家屋も残る住宅地を抜けて北西へと歩くと、深いところを流れる川が見えてきました。

永平寺川です。

高校時代の修学旅行で訪ねた永平寺ですが、2019年に再訪していなければあるいは川や水路に関心がでなければ有名なそのお寺の敷地内を流れる川があることも知らないままでした。

 

地図でたどると九頭竜川へと合流して、そこから大きく蛇行したあと山あいを抜けた大きな河川がのびのびと流れを広げるような場所があります。

このあたりをいつかもう一度見てみたいと思っていました。

 

永平寺川沿いの歩道を歩くと水田地帯になり、その先が大きく西へと向きを変え大きな建物があるのが見えました。目指していた九頭竜川流域防災センターで、九頭竜川資料館があるようです。

この時には地図に描かれている堰は見えなかったのですが、蛇行した箇所に差し掛かったときに大きな煉瓦づくりの堰が見えました。コンクリートの現代的な堰を想像していたのですが、九頭竜川の青い水面と青い空そして周囲の緑の山々に映えるこちらもまたモダンな堰です。

 

その堰の手前、永平寺川が九頭竜川に合流するところに地下の魚道観察室が造られていました。

突然、オルゴールのような音が聞こえて、堰の上の機械が動き出しました。トロッコのような機械が移動して清掃をしているのでしょうか。

 

九頭竜川の治水*

 

現代的におしゃれな建物の一角に九頭竜川資料館がありました。訪問者は私1人でしたが、時期によってはたくさんの小学生が勉強に来るようです。

上流から下流まで、九頭竜川の治水の歴史がわかりやすく展示されて引き込まれるように読みました。

 

その中に「外国人技師エッセルとデレーケ」がありました。

オランダから明治政府が招いたエッセルは、福井市内の九頭竜川や足羽(あすわ)川などに、河岸(かがん)や堤防を守る護岸や、水の勢いを弱める水制を設計し、工事を指導しました。

また、九頭竜川の河口に土砂がたまり、船が通れなくなったため、三国港に砂が入ることを防ぐ突堤をつくる計画をしました。

その後、ヨハネス・デ・レーケが指導を引き継ぎ、たびたび三国を訪れました。

 

2019年に九頭竜川の河口を訪ねたときにエッセルとデ・レーケの石碑を見つけました。

川や水路を訪ね歩くようになってから江戸時代以前からの土木技術にはすごいものがあると思うようになりましたが、明治期のこの外国人技師たちは治水の歴史ではまた重要な存在ですね。

こうした説明に出会えるだけでも、きた甲斐がありました。

 

 

*鳴鹿大堰(なるかおおせき)*

 

 

目の前のおしゃれな堰が「鳴鹿大堰」であることを初めて知りました。

 

12世紀にはその原型になる鳴鹿堰ができていたようで、戦後の食糧増産のために鳴鹿頭首工が造られさらに2003年に鳴鹿大堰として改修されて治水と灌漑用水の維持、そして大野市の水道の水源という3つの機能を果たしているようです。大野市といえば、豪雪地帯でありながら消雪のために水不足が懸念される地域ですね。

 

資料館のパンフレットに「景観設計」が書かれていました。

 鳴鹿大堰の建設地点は、九頭竜川加越山地と越前山地の谷平野をぬうように流れ福井平野に出たところに位置し、山地と河川が織りなすすばらしい景観と福井都市圏内の永平寺丸岡城など伝統的な和風建築の香りのする地域性を有しています、歴史的にも六呂瀬山、手操ケ山等の喧嘩有数の古墳群にかこまれ、古くから九頭竜川とともに栄えた地域となっています。そのため鳴鹿大堰は、周辺の風土と景観との調和に配慮し、今までこの地を守り続けた人々の偉業、そしてその環境の一部として長く仕事を果たしてきた旧鳴鹿堰堤への経緯と、地域の人に愛される堰にという願いを込めて造られました。

 堰全体は堰柱が管理橋につながれたように見たて"水面を穏やかに彩る鳴鹿の舟橋"を連想できるデザインを採用し、色彩についても環境色をベースとして検討した堰柱の桜ミカゲ色を中心に"加賀五彩"の色彩に基づいて景観設計されています。また堰柱の2本突き出た油圧シリンダは、鳴鹿の名前にちなんで「鹿」をイメージしデザインされています。この油圧シリンダ式のゲートを採用することによって、とかく不安定なイメージを与える従来の堰のような操作室が不要となり、非常にすっきりとした堰柱構造となっています。

 

モダンなデザインというのは、見た目だけでなくその地域の歴史への敬意があることによって時間を超えて存在し続けるものになるのかもしれませんね。

 

九頭竜川の美しさにまた惹き込まれ、この大堰から両岸を潤す水路の先にははどんな風景が広がっているのか歩いてみたくなりました。困りましたね。

 

九頭竜川に関するパンフレットを何冊かいただきました。

 

*おまけ*

 

オルゴールを鳴らしながら移動していた機械は「ガントリークレーン」だという展示もありました。

予備ゲート据付するためのガントリークレーン

予備ゲートは、1径間で4段積み方式で、据付・撤去をガンドリークレーンでおこなう、省力化、時間の短縮(据付撤去:6日⇒1日)を図っています。

予備ゲートの格納場所は、管理橋の各主径間の主桁の間に収納すること等空間の有効利用を計っています。

専門すぎてよくわからなかったのですが、稼働しているところを見ることができたのはすごいタイミングだったことはわかりました。

 

そしてこうした驚異的に変化してきた水利施設の機械ひとつひとつにリスクマネージメントが徹底されてきた時代に入ったこともまた大事なことだったと思いながら資料館を後にしました。

 

 

 

 

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ヨハネス・デ・レーケについての記事はこちら