母の施設から駅まで歩くと、1時間ちょっとかかりました。
わずか徒歩10分ほどのところでも歩くと驚かれるほどの地域ですから、歩いている人とはほとんど出会いませんでした。
車はそれなりに走っているので、なんだか「あの人なんだろうね」という視線を感じてしまうのは自意識過剰かもしれないと、気持ちを切り替えて歩くことに集中しました。
でもほどなく、散歩の世界に引き込まれていきました。
道ばたの草花もそうですが、あちこちの用水路から聞こえてくる水音です。
泳いだり、海や川を眺めることもそうなのですが、私が水に惹かれているのはこの音なのかもしれないと改めて思ったのでした。
3月に入り、周囲の山からの雪解け水が増えて来たためか、水音が大きく感じられました。
農家のすぐ横に、地面を掘っただけの用水路があって水が流れていきます。
次の家にもまた、そしてその先の家にもまたそれぞれの用水路があって、歩いている間、途切れることなく水音が聞こえてきました。
それが次第に大きな用水路に集まって、市街地へと流れ、駅の周辺にもまだ開渠のままの用水路に水が豊富に流れていました。
高校生まで、ずっとこういう水音を絶えず聞いていたのですね。
家の裏にも少し大きな用水路がありましたから。
湧水を求めて、お鷹の道をはじめあちこち散歩をしているのもこの水音を求めていたのかもしれません。
「水音」で検索したら、案外と説明がありませんでした。
頼みの綱のWikipediaにもないし、コトバンクの説明もわずかでしかも文学的表現のような説明だけでした。
水音ってなんでしょうか。
私はその何に惹かれているのでしょうか。
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