散歩をする 176 「海道」の終わり

中村城跡周辺をぶらぶらと歩いていたら、目の前の白壁づくりの立派な市民会館内にある歴史資料館に立ち寄る時間がなくなってしまいました。

松川浦や干拓地の歴史をもう少し知りたかったのですが、計画を詰め込みすぎました。

でも、ゆっくりと静かで美しい街の中を歩くことができたので、地図を眺めていても空気まで思い出せるようになりました。

 

再び常磐線に乗り仙台へと向かいました。

常磐線に乗ると常磐共同火力勿来発電所東京電力広野火力発電所福島第二原子力発電所福島第一原子力発電所、原野火力発電所と大きな発電所が見えますが、相馬駅を出てすぐに相馬共同発電所新地発電所が見えました。

この発電所を過ぎてしばらくすると、風景が変化しました。

 

亘理駅あたりから平地になり、用水路が張り巡らされて水田が広がっていました。

亘理駅には、相馬市の市民会館と同じように白壁造りの図書館と歴史資料館が併設されていました。

ふらりと立ち寄って見たくなる風景です。

 

Wikipedia亘理によれば、このあたりは「日本書紀」に葦の浦として描かれているようです。ほんとうにそうだろうなと思わせる、ひろびろとした地形でした。

2011年の大津波では町の47%が浸水し、「沿岸の地区は壊滅的被害を受けた」と書かれています。

地図では、阿武隈川の河口の付近に「鳥の海」という湿地と周辺に干拓地らしき場所があります。

今回の計画の段階でも地図で見つけて興味があったのですが、路線バスもなさそうだったので時間的に無理であきらめた場所でした。

 

稲刈りも終わった水田地帯を列車が抜け、いよいよ阿武隈川が大きく蛇行して太平洋に向かう付近を渡りました。

台風19号から1週間ほど経っていましたが、泥水のような様相でした。ここから40kmほど上流に、丸森町があります。

 

阿武隈川を過ぎると、やはり震災の頃に毎日祈るようにその名を聞いていた名取の平野が続き、仙台に到着しました。

常磐線全線に乗ってみたいという希望がかなえられましたが、1日目はさらに山形へ抜け米沢までいく予定ですから、ここまででまだ散歩の1日目の半分ほどの記録です。

 

帰ってきてから何度も浜通りの歴史を読み返しているのですが、常磐線の車窓から見える風景だけでも多岐多様で、さらに歴史までとなるととても理解できるものではないとその広さ、深さに圧倒されています。

 

ところで、「勿来」の読み方をすぐに忘れてしまうのですが、「な来(こ)そ」すなわち「来るなかれ」を意味しており、蝦夷の南下を防ぐ意味を持っていたという説があるとありました。

いやはや、震災の時に初めて「浜通りという大きな通りがあるのか」と勘違いしたことが恥ずかしくなるくらい、「海道」周辺の歴史を知らなさ過ぎました。

 

 

「散歩をする」まとめはこちら