水のあれこれ 321 山形盆地の「魚が住めない川」

高畠駅の手前あたりから最上川が少しずつ西へと離れると山形新幹線は山あいへと入り、そしてふたたび目の前が開けるような感じとともに水田地帯が広がって山形盆地に入りました。

 

私は最上川を追うために列車の左側の席を取っておいたのですが、茂吉駅を過ぎると窓の外は地図からは想像もしていなかった崖線でした。

航空写真に切り替えても崖のようには見えないのですが、たしかに「みはらしの丘」という地名が書かれています。

そして、左側の風景しか見ていなかったのですが、右側は須川という最上川の支流が流れる風景だったようです。

この川がつくり出した地形でしょうか。

 

 

*「魚が住めない川」*

 

 

山形盆地の南部の水田地帯はこの須川が潤しているのだろうとWikipediaの「須川」を読むと、これもまた想定外のことが書かれていました。

一般に魚が住めない川といわれている。その原因は廃坑となった蔵王鉱山から現在も流れ出ている鉱毒水の成分と、蔵王温泉の硫酸性の温泉水により須川の水のpHが低いためとされる。多くの河川が合流しているので一概に全ての部分でpHが低いわけではなく、基本的に立会川合流地点付近までが酸性が強い。須川合流地点の天童市寺津の最上川では、須川が合流したあと最上川本川のpHが低くなり一時的に水質が悪くなっている。また大雨が降った時には、合流地点の天童市寺津から5kmから最大10km下流の村山付近でも、須川酸性水が検出されることもある。

 

この箇所を読んですぐに思い出したのが、足尾鉱毒事件と渡良瀬遊水地の歴史と、八ッ場ダムの上流に強酸性の水を中和する草津中和工場が必要だったことでした。

こうした歴史の上に関東平野の広大な田畑や上水道が守られています。

 

正義心が強かった昔なら、「魚が住めない」という一文に公害とか自然破壊を考えて動揺したことでしょう。

今は安定した産業を守りかつどうやって安全に水を確保しそして魚が住める川にするのかという、その地域の試行錯誤の歴史を重ねて読めるようになったのかもしれません。

 

日夜、流域のあちこちで水質検査をはじめ、さまざまなデーターを集めている方々がいるということも。

 

 

阿武隈川の水を最上川支流へ*

 

もうひとつ、Wikipediaの説明で驚いたのが以下の箇所でした。

上流の上山市生居および楢下地区では菅平川の周辺の灌漑のために奥羽山脈を隧道で貫き宮城県阿武隈川水系から水を引く横川堰が作られ、農業用水に使用された後、須川に注がれている。

 

 

奥羽山脈を貫いて阿武隈川の水を山形側へ引いている。

なんだかすごい世界ですね。

 

 

 

 

*おまけ*

全国に須川があるようです。「酢川」と書くこともあるようで、水質をとらえた名前なのでしょうか。それぞれの川や地名にどのような歴史があるのか、訪ねてみたくなりますね。

 

 

 

 

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