水のあれこれ 190 佐々川と河川争奪

8月半ばごろからapple社のマップから川の名前が忽然と消えたので車窓からみえた川の名前を確認できずにいるのですが、佐々駅のあたりから並走していた川は佐々(さざ)川だとわかりました。

 

Wikipediaのその「地理」に、「甌穴(ポットホール) 中流佐世保市吉井町に多い」とあり、やはりあれは甌穴だったようです。木曽川上流の寝覚めの床も甌穴だそうです。

 

佐々川支流の河川争奪*

 

そしてその次に「河川争奪」の説明がありました。

支流の福井川は、佐世保吉井町直谷と同市江迎町田ノ元の境で西向きから南向きへほぼ直角に曲がって佐々川へ合流する。また、この地点のすぐ西隣と流れる江迎川も、南向きから西向きへほぼ直角に曲がる。福井川と江迎川の間は谷になっていて、この谷に沿って松浦鉄道や国道204号が通っている。 

これは河川争奪による地形である。かつて福井川は江迎川の支流だったが、断層の活動により田ノ元より下流が上昇した。そこへ佐々川の侵食が進んで江迎川との分水界を破り、福井川は佐々川に合流するようになった。

(強調は引用者による)

 

 

吉井駅のそばの東側の世知原(せちばる)方面からの流れが本流で、その後松浦鉄道と並走していた小さな流れが福井川だったようです。

 

行く前に地図で潜竜ヶ滝駅のあたりが分水嶺だろうと思ったのですが、小高い場所を想像していました。

「谷」だったのですね。

分水嶺といっても一様ではないという専門の方達には当たり前の知識でも、なかなか風景からだけでは見えないものです。

あの久慈川の河川争奪も説明を読んでもなかなか理解できません。

 

次からは分水嶺らしい場所を通るときには、もっと注意してみようと思いました。

 

 

佐々川とその周辺の歴史*

 

Wikipediaの「佐々川」に、諫早干拓地によって本明川の流路が長くなったことで、県内の河川の順位が変わったことが書かれていました。

長崎県の河川では流路延長1位・流域面積2位であったが、流路延長2位だった本明川の河口に諫早湾干拓調整池が作られて本明川の河川規模が拡大されたため、2008年度以降は流路延長・流域面積とも2位となった。

河川の規模が人為的に変化するのは驚異的に変化する時代とも言えるかもしれませんね。

 

そして周辺の産業と変化が少し書かれていました。

流域は茶畑や水田が多い。下流では寛文・延宝年間に平戸藩松浦鎮信の命により新田開発が行われた。また、江戸時代から昭和中期までは流域の北松炭田で石炭採掘が行われていた。

河口の佐々浦には昭和初期まで流し場があり、左岸の佐々港は石炭の積み出し港であった。現在は漁船の船溜まりの他に九州電力相浦火力発電所など工業幼稚としても利用されている。 

 

干拓地や棚田、そして 相浦駅のそばに発電所があった車窓の風景と、この川の流域の歴史が少し繋がってきました。

おそらく30年から50年ぐらいごとに産業や社会が驚異的に変化して、この地域の風景も変わってきたのでしょうか。

 

それにしても「断層の活動により田ノ元より下流が上昇した」とさらりと書かれているのですが、その長さはヒトの人生と比べたら気が遠くなる長さですよね。

 

 

 

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