散歩をする 189 岩沼と阿武隈川

はやぶさ1号に乗ると、仙台には8時4分に到着します。お昼ご飯が目的ですが、せっかくなのでただひたすら川と海をみる〜茨城、福島、山形、新潟編〜で気になっていた場所を訪ねようと早起きしたのでした。

 

 

仙台で東北本線に乗り換えて、ひとつめの目的地である岩沼駅に降りました。なんと1年のうち、仙台を素通りすること3回目です。

今年の5月に初めて阿武隈川を意識するようになって、その流域のあちこちを見てみようと訪ねました。あとは下流から河口です。

 

鳥の海阿武隈川の河口にあり、その対岸が岩沼市です。

河口付近の地図を眺めていたら、「学水館あぶくま」という資料館を見つけました。

そこを訪ねて、そして河口にほど近いその辺りを歩いて見たいと思いました。

駅からの道順を考えていたら、あの東日本大震災の時に災害時の対応の報告書でしばしば目にしていたスズキ病院がありました。

亘理へ向かう列車までの2時間、岩沼市を歩く計画ができました。

 

*仙台から岩沼へ*

 

朝から快晴で、12月の東北はとても寒いというイメージでしたが、上着を脱いだ方が良い暖かさでした。

東北本線の車窓から、1ヶ月ほど前に相馬市から仙台へ行く途中に見た風景が見えました。

不思議なのは、平地に墓地が広々とある場所が多いことです。

名取を過ぎると、水田地帯に水が張られて緑色になっていました。セリでしょうか。

水鳥が飛翔しています。飛び方でカワウだとわかりました。

ずっとずっと平野が広がっている、そんな風景です。

 

*五間堀川*

岩沼駅に到着して、歩くこと10分ほどで、総合南東北病院の大きな建物とスズキ病院が見えて来ました。その手前に川があります。

五間堀川です。

 

地図を見ていて気になっていた川です。阿武隈川のもう少し上流から並行して流れ、阿武隈川に近づいたと思うと直角に向きを変えて、仙台方面へ少し流れ、そして太平洋へと流れています。海岸近くでは名取の方から海岸に沿って水路が描かれていました。

検索しても詳細な説明がなかったのですが、「街道写真紀行」というサイトの「旧奥州街道209/岩沼市五間堀〜聖徳太子堂」のなかに以下のように書かれていました。

五間堀はもともとは阿武隈川流入している川であったが、岩沼藩時代に阿武隈川から切り離され、貞山堀に流入している。

貞山堀は伊達政宗が始めた工事で、仙台湾に沿って阿武隈川から名取川の間の堀で、舟運に使用された堀である。

 

病院がある地域は台地のような場所で、五間堀川より少し高く見えました。

宮城県の「五間堀川圏域河川整備計画」(平成26年)という資料では、この地域の被害が大きかったことが書かれています。

(3)東北地方太平洋沖地震による被害

 平成23年3月11日14時46分に発生した三陸沖を震源とするマグニチュード(M)9.0の地震により、宮城県栗原市震度7をはじめとして、宮城県福島県茨城県、栃木県の4県で震度6強が観測された。

 また、この地震により、東北地方から関東地方北部の太平洋川を中心に、広い範囲で大規模な津波が発生し、多くの被害が生じた。

 五間堀川圏域では、地震津波により五間堀川の堤防や赤井江が甚大な被害を受けた。

 また、五間堀川圏域を含む東北地方の広い範囲で大規模な地殻変動が発生し、牡鹿地点で最大1.14mの地盤沈下が確認され、五間堀川圏域でも最大20cm~25cmの地盤沈下が生じた。

 

資料によると、過去には昭和22年のカスリン台風、23年のアイオン台風、そして昭和61年と平成6年の記録的豪雨でも洪水など大きな被害があったようです。

 

阿武隈川

 

スズキ病院のあたりには新しい住宅街が広がっていました。落ち着いた街並みにするために、家の色や形などを規定していることが表示されていました。静かな住宅街を抜けると水田地帯が広がり、阿武隈川の堤防と大きな水門が見えて来ました。

 

堤防を登ると、そこには静かに流れる阿武隈川が見えました。晩秋の日差しに、空と水が青く映えています。

残念ながら、学水館は休館日ではなかったのですが閉まっていました。

 

堤防の上はサイクリングコーズと遊歩道として整備されていて、東屋がありました。

そこでしばらく阿武隈川を眺めました。

 

この辺りから大きく蛇行しながら、阿武隈川は太平洋へと注ぎます。

河口から7.6kmという表示がありました。

 

駅へ戻るのに、今度は竹駒神社のそばを通りました。馬事博物館と地図にあったので立ち寄ってみたのですが、そこも閉まっていました。

今日はなんだかふられっぱなしで残念ですが、昔からの街だったのだろうと思われるまた違った落ち着きのある通りを歩きました。

小学校からは元気な声が聞こえてきました。

 

 

ところで、阿武隈川の堤防沿いに市内へ戻る時大きな橋があります。

阿武隈川の左岸に沿ってその橋の向こう側だけ、「阿武隈」という地名があります。

 なぜ、その地名がついたのだろう。興味が尽きませんね。

 

 

 

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