散歩の二日目、雨の中、最上川と米沢城周辺を歩き駅に戻りました。米沢駅で駅そばを食べ、お土産を購入して、いよいよ山形新幹線です。
国鉄からJRに変わった頃からでしょうか、駅ビルの再開発があちこちで行われて、それまでは平屋建てだった駅舎から改札が2階になったり、ショッピングセンターなどが併設され始めました。
私が高校生まで過ごした地域の駅も、90年代に入って2階建てに新しくなりました。
米沢駅は駅舎に入ると、目の前がすぐ改札です。
その改札を入ってすぐのホームに、山形新幹線の新庄行きが入ってきました。
ほんと、なんだかシュールな光景です。でもこの場合は、わくわくする感覚です。
少し早めに改札を通り、新幹線が出発するのを眺めていました。
次に私が乗る上りの新幹線が入ってきたら写真を撮ろうと、待っていました。
ところが、平日なのに予想以上にたくさんの乗客が並び始めたので、ちょっと気恥ずかしくなり、入ってきた新幹線をただまぶたに焼き付けたのでした。
地図を見ると、山形と福島の県境の山間部を走ります。どんな風景になるのだろう、また瞬きを惜しんで車窓の風景を眺め続けました。
*米沢から郡山まで*
時々雨脚が強くなったり止んだりする中、新幹線が出発しました。
そこからのメモは以下の通り。
山が優しい。紅葉。
河床が白い、米沢の語源、アイヌ語。
峠から下り坂。
分水嶺。反対にも松川。
板谷、沢、水量、地図に書ききれない沢。
採掘場。
こんな所にも工事、保線。
松川の渓流。
庭坂の前、泥が溢れたあと。
福島にも荒川。
二本松の阿武隈川、濁流。
「山が優しい」と感じたのは、仙山線の時の印象もそうなのですが、東北の山々というのはなんだか人を寄せ付けないような厳しい山のイメージがありました。
ところがそれほど高くなく、稜線もなだらかで、祖父の住んでいた瀬戸内海を思い起こさせるような姿が多かったのでした。
「河床が白い」と感じたのは、最上川の支流の羽黒川沿いを走っている時でした。
駅周辺の説明板に確か、米沢の由来はアイヌ語で「白い」というようなことが書かれていたことを思い出しました。
「米沢観光Navi」にこう書かれています。
米沢の地名は、歴史上中世後期から見られます。地名の由来はヨネ(米)のなるサワ(葦の生える湿地)との説や白い水が湧く米井(よねい)からきた説などがあります。
アイヌ語の説をどこで読んだのか失念しました。
「峠から下り坂」というのは、峠駅をすぎると一気に下り坂になりました。同じように山間部の下り坂を走る在来線よりは 、やはり新幹線だからでしょうか、スピードがあるように感じました。
最上川が松川と呼ばれていたように、福島県側にも松川がありました。二つの川の関係はどんな歴史があるのでしょうか。
その上流部は、板谷駅あたりから斜面のあちこちから流れる沢がまとまり、そして阿武隈川の支流になって行くようです。
福島駅で東北新幹線と連結し、郡山へ向かいます。
福島駅を出るとすぐに、「荒川」という阿武隈川の支流を渡りますが、流木や泥が堤防付近まで残さされていました。
台風19号で被害が大きかった福島県では亡くなった方が29名いらっしゃるそうで(産経新聞、2019年10月20日付)、ニュースで二本松の被害も耳にしましたがお二人が亡くなられているようです。
二本松の手前では、阿武隈川はまだ濁流でした。そのあたりで阿武隈川から離れて東北新幹線は東北本線より山側へ入るので、流域の様子はわからなかったのですが、郡山駅の直前で福島交通のバスが浸水した場所を通過しました。
まだ一面、泥で覆われていました。
山形新幹線の年表によると、東日本大震災の時には、ちょうど1ヶ月後の2011年4月11日は全線運転再開されているようです。
今回の台風19号では、「12日午後から運休していた山形新幹線は、安全確認が終了し、14日午前の臨時列車から運転を再開した」(産経新聞、2019年10月14日付)とありました。
濁流の続く河川のそばの平地の保線もさることながら、あの山間部の保守点検を災害時に行うというのはどんなにすごいことでしょうか。
そういう意味でも、「夢の超特急」が現実になっているのだと思いました。
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