行間を読む 85 夢の超特急・ 山形新幹線

散歩の2日目の計画に、「最上川上流を見て、翌日には安積用水の水源である猪苗代湖を回って」とあっさり書いていますが、これを可能にしたのも山形新幹線があったからでした。

 

米沢から猪苗代湖を回ってその日に都内に戻るなんて時間的に無理そうなので、米坂線日本海に流れ込む荒川沿いをみる案を最初は考えていました。

あれこれ時刻表を見ていたら、「米沢〜郡山」を山形新幹線でたったの50分ほどでつないでいることがわかりました。それを利用すれば本数の少ない磐越西線に乗り継ぎ可能となり、猪苗代湖を回ることができます。

 

散歩の初日に、夜の山形駅構内で山形新幹線と書かれているのを見て、そして米沢駅に降りた時に改札口のすぐそばのホームが山形新幹線のホームになっているのを見て、いよいよ明日は山形新幹線に乗れるのだとわくわくしたのでした。

 

今年5月に秋田新幹線を利用して、初めてミニ新幹線を知りました。

住宅や田畑のすぐそばを通り、在来線を利用するので踏切では新幹線が過ぎるのを車や歩行者が待っている風景です。

在来線のしかも単線の線路を走るなんて、ちょっとシュールです。この場合は、よい意味での超現実的という感じ。

 

*「誰もが本気に受け止めてくれなかった」計画*

 

Wikipedia山形新幹線歴史を読むと、私のミニ新幹線に対する印象も40年ほど前であれば少数派ではなかったようです。

 1981年1月に第47回国民体育大会山形県で開かれることが内定すると、山形県はそれを併せ交通体系の整備を進めるべく、同年6月、「山形県総合的交通体系整備問題調査会」を設置した。相前後して国鉄運転局長についた山之内秀一郎(のちJR東日本副社長、宇宙航空研究開発機構初代理事長)は、フランスの高速鉄道であるTGVが終着駅から在来線に乗り入れ地方都市に直通していることに着目し、スキーのメッカである蔵王のある山形県に新幹線を乗り入れさせたいとの一念からミニ新幹線構想を思い立った。山之内は間をおかず国鉄内部で構想を披露するが、誰もが本気に受け止めてくれなかった。そのような中、土木部門の先輩の一人が興味を示し、山形と秋田に新幹線を乗り入れる具体的な路線計画としてまとめてくれた。折しも、山之内山形県幹部や同県選出議員と懇談する機会があったため、この構想を紹介してみると、あまりにも意外な計画に思われたのか最初はほとんど反応がなかった。しかし、1年ほど経過したのちこの計画が動き出し、同調査会がさらに調査し、1983年に「県都(山形)新幹線の導入構想」を提言した。

 

1980年代、すでに東海道・山陽新幹線は「夢の超特急」から日常的な鉄道になっていた時代ですが、その当時、さらに「在来線に乗り入れる夢の超特急」の構想の時代に入っていたのですね。

 

 

 

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