散歩をする 312 ただひたすら川と海と干拓地を見に〜佐賀、長崎、福岡編〜

 6月下旬、前夜の数時間にわたる送電トラブルが嘘のように、何事もなかったように品川駅から新幹線に乗りました。

今までのぞみの「博多行き」の表示は見るだけで、その終点までもその先も行ったことがありません。

初めて博多まで乗り、そして40年ぶりの佐賀県へ向かいました。

 

1982年から83年ごろの夏に佐賀県出身の友人に誘われて佐賀へ行き、その時に購入したお皿を今でも使っているので、毎日佐賀県のことを思い出しています。

看護学校の同級生で、顔は思い出せるのですが名前が出てきません。それほど親しい関係でもなかったと思うのですが、その年に長崎で開かれた看護学会に私が行くことを聞いて、なぜかご実家に宿泊するように誘ってくれたのでした。

ご実家は佐賀市のすぐ近くで、周囲が稲穂の香りで満ちていて、まるで夏休みに祖父母の家に遊びに行ったような懐かしさでした。

 

この時には長崎まで飛行機を使い、帰りは博多からやはり飛行機で戻ってきた記憶があります。九州は遠いなあと思っていました。

 

2017年に初めて祖父の田んぼも干拓によってできたことを知り、2018年から岡山平野を初め、全国の干拓地を歩いてみたいと出かけるようになりました。

その時に読んだ干拓の歴史に、「わが国の干拓事業は約1400年前に有明海の北端、今の佐賀県が最初である」と書かれていました。

記憶にある友人の実家周辺の田んぼは、ごく普通の田んぼだったような気がしたのですが、あそこも干拓地だったのかと地図を拡大しながら眺めて息をのみました。

圃場整備されたまっすぐな用水路の間に、複雑に入り組んだ水路と集落があります。

航空写真に切り替えると、今でも佐賀市街地のすぐそばまでその複雑な水路沿いに水田があります。筑後川を超えて、福岡県大川市柳川市も同じような水路です。

クリークを初めて知りました。

 倉敷の干拓地とも全く違います。

1980年代、私はこのクリークの張り巡らされていた水田のそばに泊まっていたのですね。当時、水田はどこも同じに見えて、干拓の歴史も知らず、この風景が記憶にも残っていないことがとても残念です。

 

地図を眺めていると、九州沿岸のあちこちに干拓地らしき地形があります。

もう一度、佐賀の水田地帯を見たい、そして海岸沿いの干拓地を巡って見たい。いつかの日のために、いくつか計画を立てていました。

 

昨年1月に、スクリーントーンズのライブで久住昌之さんの箸置きを購入したのですが、それが佐賀県内で焼き付けされているもので、久住さんが「佐賀はいいところだ」と書かれていました。

そしてその1ヶ月後に広島を走る九州新幹線 を見て、もうこの偶然は佐賀に行きなさいということに違いないと思うようになりました。

今回は、博多からは在来線を利用したので九州新幹線には乗らなかったのですが、品川から博多までのぞみで4時間46分、車窓からの風景を眺めていたらあっという間に九州に到着しました。

 

 

佐賀市のクリークを歩き、懐かしい佐賀市で一泊したあと、2日目は沿岸の干拓地を眺め、諫早をまわり、大村湾の海岸線を眺めて佐世保で一泊。

3日目はバスと松浦線でぐるりと海岸線を眺め、伊万里から唐津、そして博多へ戻る計画です。

 

1400年前から、水田を広げるために干拓してきた痕跡をただひたすら眺める散歩です。

 

 

それにしても、40年ほど前に佐賀の友人がなぜ誘ってくれたのか忘れたのですが、それがなかったらこの遠出もなかったわけで、人生の偶然の積み重ねはほんと、不思議ですね。

ということで、しばらく不定期ですがこの散歩の話が続きます。

 

 

「散歩をする」まとめはこちら

合わせて「米のあれこれ」もどうぞ。