敦賀を航空写真で見ると、敦賀湾から若狭湾を眺めながら左手の半島の海岸線をまわってみたいのですが、残念ながら今回は先を急ぎます。
敦賀駅から小浜線に乗り、今回の散歩の目的のひとつでもある小浜へ向かいました。
敦賀駅を出てすぐに小さな川を渡ります。なんの変哲もない川と思って車窓からのぞき込んだら、駅のそばだというのに清流で、木の芽川という美しい名前だったのでメモしたのでした。
こうした小さな水の流れが、あちこちから敦賀湾へと流れ込んでいるようです。歩いて見たいですね。
しばらくすると、電車はぐんと高い場所、しかも海や街を見下ろすような場所のぎりぎりのところを走りながら山間部へと入りました。
再来年には小浜線は開通100年になることが、駅に書かれていました。
小浜線の歴史を読むと、1887年(明治20)には早々に鉄道会社ができて仮免状まであったのに失効、1922年(大正11)に全線開通したことが書かれています。当時の人にとって、この海岸線をつなぐ鉄道にはなみなみならぬ思いがあったのでしょうか。
山の中からふと視界が開け、また真っ青な海が途切れ途切れに見えるようになり、美浜を過ぎると三方五湖が見え始めました。
航空写真で見ると、小さな干拓地と思われる水田もあります。歩いて見たいものです。
藤井駅のあたりは水田地帯が広がり、また少し山に囲まれた場所に入ると、大鳥羽あたりから落ち着いた街並みが沿線に見えます。
もう1ヶ月ほど過ぎてしまったので、記憶が怪しくなっているのですが、「若狭有田、美しい」とメモしていました。
山からの川が合わさった北川を右手に、新平野駅をすぎるとその名のようにまた水田が広がり、堤防が次第に高くなって、遠くに大きな水門が見えました。
東小浜駅の手前に「遠敷川(おにゅうがわ)」と書かれた川を渡り、もうふたつ川を超えて小浜駅に到着しました。
計画では、その北川、南川そしてもう2本の川が合流した河口付近まで歩く予定でした。
小浜といえばあの幻想的な海岸だけが記憶にあるのですが、こんなに複雑に川が流れ込んだ場所に小浜城址があり、右岸側には水取という地名もあります。
この場所を見てみたいと思い、歩き始めました。
駅から数分のところに杉田玄白記念公立小浜病院あります。病院の前に銅像があり、杉田玄白が1733年(享保18)に小浜藩で生まれ、幼少期を小浜で過ごしたことが書かれていました。
地図で見つけて気になっていた場所だったので、満足して河口へと向かいました。
ところが歩けど歩けど、なかなか橋に近づきません。海岸でぼっと海を眺める時間が少なくなりそうだったので、急遽計画を変更して漁港のそばを曲がり、海岸へと歩きました。
二十数年前に来たときに、たしかこの漁港にある市場で干物を買った記憶があります。
この先にある若狭フィッシャーマンズワーフだったか、いやもっと鄙びた市場だったようなと記憶があいまいです。
でも、あの時の海沿いなのに湖のような、そして真っ青な空と海と紅葉の幻想的な風景は同じでした。
地図で見ると、この海岸から小浜湾が広く見渡せるように見えるのですが、実際には小さな岬が折り重なるように見えるので、まるで小さな潟の内側にいるかのようです。
ここだけは記憶が間違っていなかったと、満ち足りた思いで海岸をあとにしたのでした。
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