思い込みと妄想 42 偶然は偶然

遠出の散歩から戻って2週間ほど過ぎた頃、母の面会に行きました。

 

ふだんなら持っていったお寿司を食べながら、まずはたまった不満やら体調の変化やら母の話の聞き役になったり、頑張っていることを称えることから始まる面会なのですが、この日はなぜか母の方から昔話をはじめました。

 

就職した会社で、お花見に行った話です。終戦後数年ぐらいの時期でしょうか。

高梁川に沿って列車で新見まで行って、そこからバスで滝を見に行った。本当に美しい場所だった。そのあと、津山へ出て桜を見て、岡山から吉備津神社へ行ったの」と。

「へえー、戦争直後でも結構楽しみはあったのね」と、iPhoneの地図を見ながらまるで知らない場所かのように話を聞きつつ、内心は動揺しました。

 

だって、2週間前にその新見を通ったばっかりですし、昨年は吉備津神社の前も通りました

もう故郷に行くことはできない母には内緒の散歩でしたから。

 

わあー、まるで私が行ったことを見透かしているかのようなこのタイミングは偶然ではないのではないかと、思わず鳥肌がたちました。

いやいや単なる偶然と、何度も自分に言い聞かせて。

 

10年ほど前にニセ科学の問題を知ることがなかったら、あるいはブログで自分の考えを整理することがなかったら、きっと母は霊感があると信じちゃったかもしれません。

 

何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。また、そのさま。

思いがけないことが起こるさま。たまたま。

コトバンクデジタル大辞泉

 

ときどき、意味を確認しないと別の世界への入り口になる、簡単そうで難しい言葉ですね。

 

 

おかげさまで「霊感」に惑わされず、母の記憶を歩く新たな散歩の計画を思いつきました。

 

 

 

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