散歩をする  195 大山そして中海、宍道湖へ

分水嶺を越えて石見川を見ながらしばらく列車の旅は続きます。全国に「石見川」が数カ所あるようで、「いしみ」「いわみ」の呼び方があるようですが、この川は「いわみ」と呼ぶようです。

生山駅の手前で日野川と合流して日野町を流れ、このあたりから「日野川」という名前になり伯耆大山(ほうきだいせん)駅の手前で日本海に注ぎます。

 

根雨のあたりから川幅が広くなるのですが、地図で見るとまだため池が多い地域のようです。

しばらくすると右手に大山が見え始めました。ここでも車内アナウンスで大山についての説明がありました。

これ以降、翌日のお昼ごろまで、この美しい山に見守られながらの散歩になりました。

 

岸本町あたりから、用水路が多くなり水田地帯に入りました。大山からの水が使われているのでしょうか。しばらくすると、列車はぐいと西側へと向きを変え始めて伯耆大山駅、そして米子駅に停車しました。

 

いよいよ、ここから中海と宍道湖です。

 

*中海と宍道湖半を走る*

 

米子を過ぎてもまだ中海はあまり見えないのですが、中海に流れ込む小さな河川や水路を何本も渡りました。

少し中海の風景が見えたと思ったら東松江に入り、中海は終わりました。

ここからは大橋川に沿ってしばらく走り、そして宍道湖が見えてきます。

 

地図ではこの中海と宍道湖を結ぶのは大橋川だけでなく、並行して3〜4本の河川が複雑に描かれている場所です。

 

松江を過ぎるとJR山陰線が湖畔の南側を走り、一畑電鉄線が宍道湖の北側の岸沿いに走っています。

宍道湖半の地形は次々と変化して、見ていてもあきません。

気温は十数度あったので寒くはなかったのですが、もう白鳥の姿がありました。

広々とした静かで美しい湖と、線路周辺の静かな街は、もしかすると半世紀前とそれほど変わらないのではないかと思うほどで、半世紀前に見た宍道湖はこんな感じだったのではないかと思えたのでした。

 

あの時に泊まったのは玉造温泉で、そこを列車は通過して行きました。

 

風景は山陽の倉敷にも似ています。

面白いのは、米子まではあの魚の形をした鴟尾(しび)をつけた家が結構あったのですが、松江に入るとパタリと見かけなくなりました。

地域によっての流行りとか風習なのでしょうか。

 

そして印象的だったのは、岡山あたりから皇帝ダリアが沿線に目立ちはじめて、この松江のあたりまであちこちに咲いていたことでした。

楽しみにしていた通勤途中の皇帝ダリアが突然枯れたことからいつもにも増して出かける先で皇帝ダリアを探していたのですが、都内近郊では今年はなぜか見かけません。

ブームも終わってしまったのかと寂しく思っていたところでした。

 

さて、いよいよ出雲市駅にやくもが到着しました。

 

 

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