水のあれこれ 124 川は少ないけれど湖が多い

境港から米子に戻り、帰路の山陰線に乗るまで1時間ほどあったので、中海に面した遊歩道を歩いてみました。

米子駅の東側に流れる賀茂川沿いに遊歩道があり、小高い丘に挟まれた先に、中海が見えます。右手の丘は米子城跡で公園として整備されていて、そのふもとに中海の水をすぐそばに見ながら歩けるようになっていました。

少し入り組んだところには椅子もあり、そこに座って中海の水面と対岸をながめていると、風景画を見ているかのようでした。

静かに水が寄せては返す音が聞こえてきて、少し磯の香りもします。

落ち着いていい街だなあと満足して、鳥取大学医学部付属病院前からバスで米子駅に戻りました。

 

鳥取から兵庫の沿岸を走る*

 

米子からは山陰本線を乗り継ぎながら城崎温泉経由で、京都で新幹線に乗って戻る予定です。

ここからは大きな川が少ないのはなぜか、目を凝らして見る予定でした。

中国地方の地理では、「日本海川へ流れる川」は、江の川日野川、千代川の3本しか書かれていません。ということは、米子駅を出てすぐに渡る日野川をすぎたら鳥取駅まで「大きな川がない」ということになります。

どんな川の風景なのでしょうか。

 

日野川を越えると大山の裾野が広がっていて、小さな川や用水路はたくさんありました。水田も想像以上にありました。

しばらくして地図では海岸線に近づく淀江あたりは自然堤防なのか、海はまだ見えません。

大山口あたりから日本海が見え始めました。天気に恵まれたので真っ青な海原が続き、山側には緩やかな斜面に畑が広がって美しい風景が続きます。

たしかに大きな川はないのですが小さな川や水路があり、「赤崎、水がきれい」とメモを残していました。

そのあたりから扇状地が広がって、由良のあたりで水田が広がり始めます。地図を見直してみても、用水路が網の目のように整備されています。

 

天神川を越えると倉吉駅ですが、水田地帯は突如として終わり、「倉吉、水田少ない、山」というメモが残っていたので、帰宅してから航空写真をみると倉吉駅を出ると小さな山と山の間を山陰本線が走っていたようです。

線路が曲がって描かれているのは、そういう地形が理由だったのですね。

 

倉吉を通過してすぐに、「松崎、海かと思ったら池」というメモが残っていました。

東郷池のことです。

泊駅あたりから再び日本海沿岸を走り、しばらく美しい海岸と集落の風景が続きました。平地が少ない海岸沿いから、浜村のあたりではまた水田地帯がありました。

一瞬、水田のそばをうさぎぐらいの動物が走ったのを見逃しませんでした。ヌートリアかもしれません。

 

宝来駅を過ぎると水尻池が見え、そして鳥取大学前駅の手前あたりから広い池が見えます。

米子駅から鳥取駅まで、地形が刻々と変化してなんとも不思議な風景でした。

 

湖山池を読むと、「中海の次に大きい」汽水湖とあります。

 

今回、中海と宍道湖を見てみようと思い立ってから、山陰沿岸の地図をなんども眺めているうちに沿岸部に池が多いということに初めて気づきました、

このあたりから敦賀ぐらいまで複雑な海岸線が続いていますが、池のような場所がいくつもありますし、「池」かと思うと「湾」だったり、あるいはもう少し砂が堆積したら海から切り離されて池になっていたのではないかと思われるような場所もあります。

 

砂丘の発達や堆積により、海と分離されてできた海跡湖

今までほとんど意識したことがない地形でした。

豊かな恵みをもたらす汽水域ですが、農業のためには淡水が必要。

目の前に水があっても農業や生活には使えない。

そのために、どのような試行錯誤があったのでしょうか。

干拓といっても、地域によって地形も歴史も違うのだということがぼんやりながら見えてきた車窓の風景でした。

 

 

そして山陰本線の車窓からの風景は美しく、それぞれの地域の歴史を感じさせるものでした。あ、でもただひたすら川と海に〜山陰編〜といっても、島根県の沿岸も京都の沿岸もありますから、今回はその一部を見たにすぎないですね。

やはり日本は広いなぁと思いました。

 

 

 

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