水のあれこれ 123 斐伊川放水路

斐伊川と書いてあっても、最初は自信を持って読めませんでした。

どこを流れているかというと、Wikipediaの冒頭にこう書かれています。

斐伊川(ひいかわ)は、島根県東部および鳥取県西部を流れる一級水系斐伊川の本流。 

 

宍道湖はこの斐伊川の一部だと、今回はじめて知りました。川なのか、なんなのかわからないですね。

 

Wikipedia斐伊川の「地理」にはさらに詳しく説明されています。

島根県仁多郡奥出雲町の船通山を源流とし、出雲平野から宍道湖へと流れ(河川整備計画等では宍道湖合流点より上流側の区間揖斐川本流と称する)。宍道湖から大橋川・中海・境水道を経て、鳥取県境港市島根県松江市の境界から日本海に注ぐ。 

 

実は、宍道湖を調べてこのことに気づいたのではなく、地図を眺めているときに斐伊川に放水路らしきものがあることから知ったのでした。

 

*出雲のどこを歩くか*

 

今回の計画段階で、最初は当然、あの子どもの頃に行った出雲大社に行くつもりでした。

航空写真を見ていると、面白いことに気づきました。出雲大社は北側が山になっていて、宍道湖から出雲大社そして西側の日本海側までが平地のようです。これが上記の「出雲平野」に当たるのでしょうか。

小学校低学年の頃に行ったきりで、その辺りの地形の記憶はまったくありません。

もしかしたらその平地は昔は海だったのかもしれないと思うと、この目でその地形を見てみたくなりました。

 

出雲大社のあたりを歩いて、時間があれば目の前にある堀川に沿って歩いて日本海をみる。それが当初の計画でした。

 

宍道湖流入河川はどの川だろうと地図を眺めていたとき、斐伊川ではないかと見当がつきました。行く直前までその辺りを何度も眺めているうちに、斐伊川より西側に日本海側へと流れる神戸川の間に水色の水路があり、そのふたつの川の合流部に「斐伊川放水路事業記念館」を見つけました。

 

出発の2日前になって大きく予定変更をして、出雲大社付近はあきらめて、この放水路を見ようと思いたったのでした。検索すると、残念ながらその日は記念館は休館日でした。

日程はもう変更できないのですが、とにかくその放水路がある場所をこの目で見てみたいと思ったのでした。

 

斐伊川放水路事業*

 

国土交通省出雲河川事務所の事業概要では、以下のように説明されています。

斐伊川放水路事業は、斐伊川から神戸川に洪水の一部を分流する斐伊川放水路の建設及び神戸川の拡幅を行うもので、斐伊川放水路(開削部)4.1km、神戸川(拡幅部)9.0kmの総延長13.1kmに及びます。昭和56年に事業着手し、平成25年6月に完成しました。 

 

宍道湖に大量の水が流れ込まないように、神戸川から日本海へと流す事業のようです。

島根県のホームページの「斐伊川放水路が運用を開始しました」というお知らせに、「治水計画見直しの契機となった昭和47年7月豪雨災害」について説明があります。

昭和47年7月9~13日、梅雨前線が中国地方に停滞し、県内は断続的な大雨になり、斐伊川神戸川はともに水量が大幅に増えて堤防は決壊寸前の危険な状態になりました。

また宍道湖が増水して松江市や出雲平野東部をはじめとする宍道湖周辺約70平方キロメートルが1週間以上浸水し、約2万5千戸の家屋が被害を受けました

この災害を契機に斐伊川神戸川の治水計画が見直され、現在「昭和47年7月豪雨規模の洪水が再び発生した場合でも、家屋の浸水被害を防止すること」を目標に整備が進められています。 

 

この昭和47年の水害は、おそらく私が出雲を訪れた少しあとだと思うのですが、子どもだったからか、あるいは当時、私が住んでいる地域ではあまりニュースにならなかったのか記憶にありません。

 

 

記憶にある限り、そんな大変な水害はなかったような気がしていたというのは、ただ自分が知らなかっただけだったのでした。

 

 

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