唐津駅で乗り換えた列車は筑前前原駅どまりですが、ちょうどこの辺りを歩いてみたいと思っていた場所でした。
地図で見ると駅の北西に丸太池公園があります。最初、この池と周囲にある溜池に目がとまりました。
そこから北側を見ると、あの邑知潟地溝帯に似ています。
二つの川が波多駅のあたりで東西へと別れて流れ、その川を中心に水田が広がっています。
特に西側へと流れる川は、途中の糸島医師会病院のそばで直角に曲がり、その周囲には「新田」という地名です。
それとも糸島というぐらいですから、岡山のように島の間の干拓地でしょうか。
この辺りを歩いてみよう。
計画は壮大過ぎました。筑前前原駅に到着した頃には、水田を見るとおにぎりを妄想するほどお腹が減り、まずは何か食べようと思ったのですがまんえん防止法のためかお店はほとんど閉まっていますし、外は30℃越えです。
そして想像では、駅前のすぐそばから水田が始まっている風景だったのですが、歩けど歩けど市街地の風景に力が尽きて、丸田池公園を少し歩いて気持ちがくじけたのでした。
このまま博多まで行って、とにかくご飯を食べよう。
重い体を引きずるようにして列車に乗りました。
*瑞梅寺川水系と雷山川水系からできた平野*
帰宅してからこの辺りのことを調べようと検索しましたが、糸島市の「地理」には川について書かれていませんでした。
最近、アップル社のマップから川の名前が消えているので、ダメ元で「糸島、川」で検索したら糸島市の「河川氾濫推定図の公表」で二つの水系がわかりました。
一つは東側へと流れる瑞梅寺川(ずいばいじがわ)水系、西側へ流れるのは雷山(らいざん)川水系で、佐賀市の北側に見えた背振山地が水源のようです。
Wikipediaには雷山川水系の説明はなかったのですが、瑞梅寺川の「治水」に糸島平野の説明がありました。
糸島平野は、瑞梅寺川および雷山川が運搬した堆積物によって、可也山・石ケ岳の島嶼部と本土が陸続きになり形成されたものである。ゆえに中下流域は標高差があまりなく、洪水が広がりやすい。かかる水害を低減させること、及び高度経済成長に伴い増大し続ける福岡市内の水需要を満たすことを目的とし、最上流部での瑞梅寺ダムの建設が1971年(昭和46年)に着工し、1977年(昭和52年)に竣工した。
断層によるものでもなく、川からの堆積物で陸続きになった場所だったようです。
どれくらいの年月をかけて陸続きになり、そこを水田にしたのでしょうか。
ああ、やっぱりもうひと頑張り、雷山川の流れが曲がるところまで行って水田を見ればよかったのに。
できれば、二つの水系が並行する分水嶺のような場所も歩いてみたかった。
ただ、暑さの中、欲張って本当に力尽きることは避けたいですしね。
今回の散歩で最大の後悔の残る場所となりました。
ところで、行くまでは筑前前原は「まえはら」と思っていたのですが、「まえばる」と読むのですね。
本当に日本語は難しいです。
「散歩をする」まとめはこちら。