小倉駅を出るとまたトンネルに入り、帰宅してから航空写真で確認すると山からひょこりと北九州都市高速4号線の脇に出るようですが、新幹線のトンネル口のすぐそばに人家があります。なんだかすごい構造がいつの間にかつくられていることに、またまた浦島太郎の気分です。
*遠賀川と水田地帯*
そこを抜けると池の上を通過し、開けた場所に水田が広がり始め、城址らしい場所を通過しました。劔岳城址のようです。
家々もお城のような日本家屋で、水田地帯の風景と合って落ち着いた美しい街です。この辺りも、田植えが終わったばかりのようでした。
じきに大きな川を超えました。事前に遠賀川だと予習していました。「おんががわ」とすぐ読めるのは、毎年九州で大雨の時期になると耳にする河川だったからでしょうか。
地図では新幹線が通っているあたりに溜池やダムが散在し、そしていくつもの川が合流しています。この辺りの水との歴史や生活はどんな感じでしょうか。
遠賀川の下流から河口付近をみると放水路に見えますし、近くに「水巻」という地名もあるので水害対策が思いついたのですが、Wikipediaの遠賀川の「地理」を読むと、また少し違う歴史なのかもしれません。
明治時代から昭和30年代にかけ、石炭が主力エネルギーであった時代には、筑豊地方のいたるところに炭鉱が見られ、一時期遠賀川がその運搬路として活躍した。
1960年代終わりごろに通った小学校では石炭ストーブだったのですが、あの石炭はどこから来たものだったのでしょう。
筑豊炭田の産炭地として発展していた昭和30年代まで川の水質は大きく損なわれていたが、エネルギー革命による炭鉱閉山や下水道普及により現在水質は大きく改善されている。
「鮭が遡上する国内の南限」の川だそうです。
新幹線の車窓から見えた遠賀川流域がきれいになり始めた頃の雰囲気はどんな感じだったのでしょう。ぜひ、いつか歩いてみたいものです。
ふたたび長いトンネルに入り、地図で確認すると犬鳴山で、なんとダムの下を山陽新幹線は走っているようです。
そこを抜けると、博多駅に到着しました。
*長崎本線に乗り換えて神埼へ*
博多駅から佐賀へ向かうのには、まだ乗ったことのない九州新幹線に乗るという方法もあったのですが、地図を眺めているうちに、より川に近い場所を通る長崎本線で向かうことにしました。
「特急かもめ」は、とてもおしゃれな車体と内装でした。
川がよく見えるように、指定席をとってありました。
博多駅を出てしばらくは博多湾へと流れ込む御笠川に沿って走り、天拝山駅あたりが分水嶺で、そのあたりからは有明海に流れこむ筑後川の支流宝満川沿いになるようです。車窓からではその差はわからないだろうと思ったのですが、少し小高い場所を境に流れが変わったように見えました。
鳥栖駅のあたりでは、その宝満川に何本もの川や水路が流れ込み水田地帯がありますが、佐賀のようなクリークは地図にはありません。どこからが干拓の歴史の境界線なのかなと考えているうちに、目的の神埼(かんざき)駅に到着しました。
せっかく来たので、その一つ手前の吉野ケ里公園にも行ってみたかったのですが、2泊3日では時間が足りませんでした。
神埼駅周辺は水田や水路に囲まれています。
ただ、航空写真では特徴的なそのクリークも、地上での目線だと普通の水田地帯とあまり変わりありません。友人宅に泊まらせてもらった時に気づかなかったのも、こんな風景だったからでした。
いよいよ、念願の佐賀のクリークを散歩します。
駅から少し歩くと、水路が住宅の中に残っています。目指す場所まで歩いて十数分ぐらいでしょうか。
梅雨の合間の30度越えの日差しの中、意気揚々と歩き始めました。
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