イタリアやスペイン、アメリカの状況が3月半ばになって伝わると、「日本も気を緩めないで。人ごとだと思わないで。2週間後には日本もこうなる」というメッセージを見かけるようになりました。
こういう正しさや善意の言葉は人の心に入っていきやすいので、要注意だというのはあの原発事故の時に痛感しました。
防毒マスクを被った写真が、実際の数値を無視して「危険だ」と煽ったりした、あの時のようです。
「日本の社会が」という大きな話はわかりませんが、私自身が人ごとと感じていたの1月半ばぐらいまででした。
2002年11月に発生し2003年7月に終息したあの重症急性呼吸器症候群(SARS)の時のように、日本ではそれほどの影響もないだろうと思っていたのですが、当時とは桁が違う人数が中国と行き来しているのですね。
チャーター機で日本人を帰国させることが決まったあたりで、人ごとではなくなりました。
2020年(令和2年)ー日本政府からの要請を受けて、同年1月29日から2月13日の間、新型コロナウイルスに関連した感染症に伴い、中国湖北省武漢市からチャーター機(第1便)で帰国した法人191人を勝浦ホテル三日月にて受け入れた。滞在した帰国者および従業員らに感染は確認されず、帰国者退去後政府委託業者による消毒作業を行った後、ダスキンや従業員による清掃作業を経て、3月1日に営業を再開した。(Wikipedia「ホテル三日月」より)
その後、大型旅客船が検疫のために横浜に入港し、重症の方々が市内の病院へ搬送され始めました。
感染が拡大する中国のニュースと、この国内のニュースが重なり合うように連日、危機感を感じさせる映像が流れ、以降、新型コロナウイルス感染症の情報を中心にした生活になり、今に至るという感じです。
2月中旬には、発熱者や有症状者が医療機関に殺到しないように、「帰国者情報センター」を通すようになりました。
2月下旬になると、公共交通機関を利用する人が明らかに減ってきましたし、駅や列車内で「国土交通省からの新型インフルエンザ対応のお願い」が繰り返し放送されるようになりました。
こうした段階的な変化に比べて、欧米の広がり方は短期間に対岸の火が急に燃え移った様相ですから、相当な恐怖心が起こることは想像に難くありません。
「こんな時にまだ外に出ている日本の社会は大丈夫か」と思われたのかもしれませんが、1月からの日本国内の変化は外からは見えにくいですからね。
原発事故の時に、「東京は危ないから逃げろ」と人に呼びかけたくなった人がいたことを思い出しています。
それはむしろその人自身の動揺の裏返しでもあるので、こうした呼びかけを広げる時には注意が必要そうですね。
私自身も決して楽観的になっているわけでもなく、ある数字を見ながら心の準備をしています。
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