「羽」というのは、川沿いに出っ張った地形を表すというようなことを何かで読んだ記憶があります。
検索しても見つからず、手持ちの川に関する本だったのかもしれないとパラパラと探してみたのですが、何に書いてあったのかわからないままです。
その時に「ああ、だから羽村というのか」と納得した記憶があるので、ずっと関心を持ち続けていた玉川上水に関する資料で読んだのではないかと思います。
そして、「それで赤羽という名前もあるのか」とつながったので、おそらく岩渕水門を訪ねたあとのことかもしれません。
荒川放水路ができる前は、あのあたりもぐっと曲線を描いた出っ張った地形だったことでしょう。
羽村市の歴史にもその名の由来が書かれていないのですが、年表をみると1989年(明治22年)はまだ「羽村(はねむら)」という呼び名だったようです。
羽村市には玉川上水の取水口があり、取水口の付近の住所は「玉川」と「羽東」で、そこから上流に向かって「羽中」「羽加美」「羽西」があり、対岸には「羽」という地名があります。
取水口から玉川上水沿いのあたりとまいまいず井戸は訪ねたことがありますが、それより上流の「羽」は歩いたことがなかったので、いつか多摩川沿いに歩いてみたいと思っていました。
昨年、久しぶりに羽村から福生まで玉川上水沿いに歩いた時に、「はむら『マイMY』ロード」という観光協会の地図をみつけました。それをみると、ちょうど「羽」の部分に大賀ハスが植わっている場所があることを知りました。
ハスの季節になったら羽を歩いてみようと楽しみに待っていました。
*玉川水神社から水上公園*
羽村駅を降りて数分もしないうちに、多摩川へ向かって坂道を降りていきます。その先に羽村取水場があり、私にはなじみの風景ですが、そこから上流は歩いたことがありませんでした。
その地図のおかげで、取水堰を管理している東京都水道局の施設の片隅に玉川水神社があることを知り、まずそこへ立ち寄りました。
玉川水神社は東京水道の守護神で玉川上水が承応三年徳川幕府によって完成された際水神宮としてこの地に建立されたものであります
以来三百六十年江戸町民および浄水路沿いの住民より厚く信仰せられて来たもので明治二十六年に名を玉川水神社と改められました
水神社としては最も古いものの一つであります
(上水と浄水は原文のままです)
水神社の前の横断歩道を渡ると、多摩川沿いに水上公園と遊歩道があります。
対岸の緑深い山を眺めながら、多摩川の水音と鳥の声だけの静寂の中をしばらく歩きました。
*根がらみ前水田と大賀ハス*
数分ぐらいで、用水路の水音が聞こえ始め、まだ遠くにみえる水田から稲の香りがしてきました。
河岸段丘の崖下に広がる水田は、想像していたよりは小規模でしたが、観光協会の地図に「市内唯一の水田」と書かれています。
その田んぼへの道に、「雨乞い街道」という説明がありました。
真夏の日でりが続くと、田ノ上地区の人たちは裸で、この街道を通り抜け、丸山下にある渕へ行き、木製の龍頭をしずめて、雨乞いをしたといわれています。
田ノ上地区というのは、河岸段丘の上の地域でしょうか。
こんなに多摩川がすぐ近くにあっても、段丘の上では水を得ることが難しい時代の話かもしれません。
水田の一角に、大賀ハスが大きな葉を広げて揺れていました。
まだ花は少なかったのですが、あの葉を見ているだけでも惹きつけられていく花ですね。
多摩川の河岸に続く低地部分は「羽中4丁目」あたりのわずかな地域で、じきに多摩川の気配を崖の下に感じるような段丘の上へと道が登っていきます。
水量の豊富な川が間近にあっても、その水を利用することもできない。
上流の「羽」という地形の大変さなのかもしれないと思いながら、小作取水堰から小作駅へと向かいました。
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