このところ都民農園セコニックとか、武蔵野台地のあちこちを訪ねるときに吉祥寺からのバスを利用する機会が増えました。
駅を出発して、吉祥寺通りへ入るときに、武蔵野八幡宮の前を通ります。
広い鎮守の杜がある神社です。
その角にある石碑に、「神田上水」と書かれていることに気づきました。
神田上水の水源である井の頭公園内の湧水はここからは少し離れていて、しかも谷津になっている場所ですから、それより高い場所にあるこの八幡宮とどのような関係があるのだろうと気になりました。
今から30年ほど前に、初めて神田川の水源であることを知り、コンクリートで囲まれたドブ川だと思っていた川に関心が出ました。
時々、水が湧き出るところを見に訪ねています。
ということで、年末に、まず井の頭公園の湧水を訪ねました。
*吉祥寺と武蔵野八幡宮*
井の頭池はいつもそれなりに人が多いのですが、「御茶ノ水」という湧水はあまり立ち止まる人もなく、静かです。
しばらく立ち止まって、その水音に耳を傾けました。俗塵に汚れた心を洗い清めるという言葉を思い出して、ちょっと神妙になるのでした。
そこから坂道を登って、JR中央線を越えたところに武蔵野八幡宮があります。
吉祥寺の氏神様として有名な八幡宮。789年に坂上田村麿が宇左八幡大社の御分霊を祀ったと伝えられる。
明暦の大火で小石川水道橋外吉祥寺は今の駒込に移り、火事で住居を無くした門前町の人々は移住を命じられて、この地に吉祥寺村を開村した際に武蔵野八幡宮を鎮守として信仰したといわれている。
(武蔵野市観光機構のHPより)
さて、バスの車窓から見えたのはと探すと、「神田上水 井の頭弁財天 道標」という説明がありました。
この道標(みちしるべ)は 井の頭弁天様へお参りする人のために建てられたもので台座を含めると約二メートルあり道標としては大きいものです。
正面には「神田御上水 井の頭辨在天」と彫られており
右側面には「天明五歳乙巳三月吉日」「これよりみち」とあります。
(注、天明5年は西暦一七八五年)元はここ八幡宮の対角にあったのですが、大正時代に道路拡幅のため井の頭通りと吉祥寺通りの交差する旧大踏切際に、さらに昭和四十四年 武蔵野郷土館(現在江戸東京たてもの園)えと移設を繰り返し平成二十年九月八日 当初の場所に程近いここ武蔵野八幡宮の地に戻すことができました。
ちょうど井の頭通りに近かったので、武蔵野八幡宮が水道と何か関係があるのかと思ったのですが、そうではなかったようです。
井の頭池にある井の頭弁財天への道標だったようですが、2メートルもあった理由はなんだったのでしょう。
どこから、どれだけの人がこの道標を目指して、そして何をお願いしに、水の神様にお参りにきたのでしょうね。
この神田上水弁財天の道標あとに 神田上水の水神社を訪ねてみると、江戸時代にははるばると吉祥寺から送られていたその水に、当時の人は何を思ったのか知りたくなりました。
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