残堀川沿いに30分ほど歩くと、目指す阿豆佐味通りがありました。この通りをしばらくまっすぐ歩いていると、南側へと蛇行した道があります。
畑や果樹園と住宅の中のその曲がりくねった道を歩くと、再び直線道路に出て、右手に不思議な住宅地がありました。
道路に対して斜めに戸建て住宅が2列に並んでいて、その間にコンクリートの道が通っています。その先は横田基地です。
一目見て、これが求めていたあの神明緑道の続きだとわかりました。そして反対側にもまっすぐに舗装された道が続いています。
何も表示はないのですが、これがあのiPhoneのマップで見つけた遊歩道です。
舗装された道には左右に矢印が描かれていて、遊歩道というよりも自転車道のようでしたが、途中で「野山北公園自転車道」とありました。
歩行者はどこを歩いていいのだろうかとちょっと悩んだのですが、近所の生活道のように歩く人も自転車に乗る人も使用している印象でした。
まっすぐに続く舗装道ですからちょっと疲れるかなと思ったのですが、案外と周囲の景色が変化するので歩き続けられました。
*導水管の上の軽便鉄道の跡地*
残堀川が見えて、その対岸には雑木林が残っています。近づくと、近くの農地を守る防風林だと書かれていました。
その防風林の前の公園に、この道の大きな説明板がありました。
村山貯水池に多摩川の水を引くため、羽村の堰から導水管を埋設しました。(大正13年完成) 。その工事の資材を運搬するため、軽便鉄道「羽村・村山線」を敷設しました。その後、山口貯水池堰堤(えんてい)工事(昭和7年完成)に多摩川の砂利や材料を運ぶため、導水管の上に軽便鉄道「羽村・山口線」を敷設し、横田・赤堀・御岳・赤坂トンネル等も掘りました。現在の野山北公園自転車道はその軽便鉄道の跡地を整備したものです。
これが、あの山口貯水池の「歴史・経緯」のこの箇所のことでした。
貯水池は狭山丘陵の柳瀬川侵食谷を活用して造られた。工事にあたり、村山貯水池の資材運搬と導水管(羽村村山線)工事の際に敷設し廃線となった羽村ー横田間の軽便鉄道の線路再敷設と横田ー山口貯水池堰堤間の延伸工事を1928年に行い、1929年から砂利運搬に利用した。廃線跡の一部は武蔵村山市は野山北公園自転車道として、羽村市は神明緑地として整備された。
iPhoneで見つけたまっすぐな道は、軽便鉄道の歴史と重なる部分だったのだとようやくつながりました。
実際に歩いてみないと、私はこういう文章を読み飛ばしてしまいます。
今回は、途中の青梅街道と交差するあたりで日がくれそうになりバスで帰りましたが、このあと「横田・赤堀・御岳・赤坂」トンネルがあるようです。確かにiPhoneのマップには4つのトンネルが描かれて、最後は狭山丘陵の途中で道が途絶えています。
次回は是非この残りの部分を歩こうと検索していたら、「怖いトンネルあります〜武蔵村山・野山北公園自転車道〜」というブログ記事があって、それぞれ暗くて人気もなくて、赤坂トンネルは夜はシャッターが降りること、「それを抜けると、狭山湖に抜けられるだろう最後のトンネルは完全に封鎖されていました・・・」と、廃墟巡りの様相でした。
ということで、ちょっと怖気づき、いつか歩くことにしようと変更したのでした。
羽村取水堰からの導水管の位置を確認できたので、よしとしましょう。
「散歩をする」まとめはこちら。