地図では、愛知池の下流は水色の線に「愛知用水」と表示された水路がわかるのですが、ところどころ忽然として消えてしまいます。
開渠だった場所が暗渠になったり、浅い場所に作られたものであれば羽村から村山貯水池までの導水管のように、上が遊歩道になっているので見当がつきます。
ところが愛知用水をたどると、地図上では住宅地にしか見えない場所もあります。1950年代から60年代に、地下に導水管を掘る技術が進歩したのでしょうか。
利根川水系と多摩川水系を結ぶ原水連結菅とか、相模川から三浦半島までの水道管あるいは高梁川から笠岡干拓地までなどあちこちを訪ねて初めて、地下深い場所に何十キロもの導水管があることを知りました。
*大高トンネル*
愛知池を出た水路は、千子池、若王子池、勅使池、濁池と貯水池をつなぎながら、中京競馬場の下を通り、しばらく開渠部分だったのだろうと思われる遊歩道が地図に描かれて、名鉄線中京競馬場駅を過ぎると、「山」「台」という地名の間を開渠部分が蛇行しながら流れているようです。
そのあと、東海道新幹線、東海道本線を越えて、水主が池につながっているようです。
東海道新幹線と東海道本線の地下に導水管があるのだろうと、地図を見て想像しました。
ところが、Wikipedia愛知用水の「流路」に、「愛知用水が東海道新幹線を乗り越える水道橋(大高トンネル」とあり、幅のそれほどなさそうな陸橋のような写真が乗っています。
なんども東海道新幹線で通過している場所ですが、地図と照らし合わせても、全くと言って良いほど景色を思い出せません。
パソコンの地図を航空写真に切り替えてしげしげと眺めても、なんだか立体感がなくて、やはり東海道新幹線の下へと導水路があるように見えてしまいます。
あの人喰い川のような轟々と流れる水路が、新幹線の上を通っていた。
にわかには信じられなくて、この目で見てみたいと、三河安城の明治用水の次にここを訪ねることにしました。
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