散歩をする 277 伊佐沼

川越の東側に長方形をした伊佐沼があります。

以前から地図で気になっていたのですが、駅からも少し遠くバスの便も少ないようなので、まあいつかは行こうと計画ノートには書き込んでありました。

 

2ヶ月ほど前に新河岸川の上流を歩き、川越市の中心部のある台地をぐるりと囲むように新河岸川入間川が流れている地形に興味が湧きました。

伊佐沼はその台地と荒川・入間川に挟まれた低地にあります。

 

やはりこの目で見て見たいと出かけて見ました。

 

南古谷駅から伊佐沼へ*

 

JR埼京線に乗りました。埼京線は途中、あの武蔵小杉駅のあたりのように、赤羽から大宮まで新幹線の線路と並走する区間があります。

埼京線に乗っているだけで、何本もの新幹線とすれ違うので心弾む場所ですが、この日は上越新幹線東北新幹線そして北陸新幹線が各1本だけでした。

やはり、2月13日の東北の地震による運休や減便の影響でしょうか。

 

荒川を渡り、目の前に広々とした水田地帯が広がり、南古谷駅で下車しました。

目指す伊佐沼は、直線距離なら1.5kmほどでしょうか。ただし水田地帯を突っ切るわけには行かないので、一旦、北西方向の道路へと出て、そこから途中の川沿いに迂回するように歩く予定です。

 

大きな商業施設もあり、ひっきりなしに車が通るまっすぐな車道で、最初から心が折れそうでしたが、ここまできたのだからと歩き始めました。

伊佐沼を見ることと、もうひとつ、そばを歩いて見たい場所がありました。10年ほど前に「補完療法」「全人的な」という言葉について考えていた時に、しばしばマスメディアに取り上げられていた、いえ今もかもしれませんが、病院があります。

どんな場所で、どんな雰囲気の街なのか以前から気になっていました。

1982年に建てられた病院は駅の反対側で、今あるのは10年ほど前に移転した新しい病院のようです。水田地帯にポツリと建っていました。

 

しばらく歩くと、伊佐沼からの九十九川があり、ようやく交通量の激しい道路から解放されました。

川沿いに舗装された小さな道路があるので、ここからはのんびりと歩けると思ったら、ここも生活道のようで、前から後ろから来る車を避けるので疲労困憊という感じでした。

「なんでこんなところを歩いているのか」という視線も感じたような。すみません。

 

周りは水田が広がっていてのどかなのに、車は多いですね。

 

九十九川に沿って歩くと、伊佐沼公園があり、その向こうに伊佐沼がありました。

イメージしていた「沼」ではなく、全周囲を護岸された貯水池のようです。

その向こうに埼玉医科大学病院が見えました。

 

*荒川右岸土地改良区*

 

夏には蓮が美しいようですが、真冬なのでわずかな水があるだけの風景で、想像と違ったけれど、駅までまた歩くしかありません。

とぼとぼと歩いていると、沼の近くにある建物の表示と案内板に目が行きました。

「荒川右岸土地改良区」とあり、「伊佐沼と農業用水」という説明がありました。

 

伊佐沼の歴史

 

 古来、伊佐沼の周辺地域は旧入間川の乱流地域にあたる広大な湿地帯でした。その中に「アカギヌマ」と呼ばれる川跡沼がありました。

 この川跡沼が今から600年程前に水田かんがい用沼として整備され、現在の伊佐沼の原型が形成されました。

 文政(1700年代)頃の伊佐沼は、その機微が南北1,800m、東西300m以上もある大規模な沼であったと言われています。

 近年の伊佐沼は、昭和初期に県営用排水幹線改良事業として、荒川・入間川の改修に伴う農業用水系統の抜本的改変が行われ、伊佐沼代用水路の新設(昭和9年)、菅間頭首工の設置(昭和24年)により、ほぼ現在の用排水系統が整備されました。その後、浚渫工事(昭和32年・43年)や護岸工事(昭和44年以降)等の整備が行われ、現在に至っています。

 

大きなわかりやすい地図と写真があり、この沼の歴史と全体像がわかりました。

 

これを見ることができたこと、そしてここが「荒川右岸土地改良区」であることを知ることができただけで、来た甲斐がありました。

目の前の風景が、また違ったものに見えてきました。

 

これだから散歩はやめられませんね。

 

 

帰宅してからあらためて伊佐沼を読むと、「昭和初期まで新河岸川の源流とされていた」の一文に、この地域の変遷に気が遠くなりました。

 

水を制し、水田を作ってきた祖父の世代あたりからの歴史と重なりました。

 

 

 

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