ときどきむしょうに新幹線を見たくなる発作が起きています。
1年前だったら、見に行くどころかすぐに乗りに行くことだってできていたのでしょうが、できないとなると余計に気持ちが向いてしまうものですね。
通勤の際に1〜2本見ることができるのですが、そういえば前回の緊急事態宣言の時にも新幹線が通過する場所をさまよったのでした。
地図を眺めていたら、まだ高輪ゲートウェイ駅に行ったことがなかったと思い出しました。
そばを東海道新幹線が通っています。この駅なら、新幹線見放題かもしれません。
ということで、出かけて見ました。
中央線の東小金井駅や武蔵小金井駅のように、最近建て直されたJRの駅舎はスケルトンタイプとでもいうのでしょうか、周囲の風景が見えて開放感がありますね。
高輪ゲートウェイも大きなガラスが中心の明るい駅舎で、2階の改札階では南側の線路を眺められるようになっていました。
すぐに下りの東海道新幹線が現れました。ああ、本当に美しい姿です。
じきに上りが2本ほど続けてきました。30分ほどいただけで、なんと10本以上の新幹線を見ることができました。
新幹線を待つ間は、手前の東海道本線やその車両基地を眺めているだけでも楽しいものです。偶然、東海道本線の車両が洗車場に入っていく様子も見えました。
満足して、窓から離れようとしたら、少し離れた陸橋を大井車両基地からの回送列車が通過していきました。
いいことがたくさんありそうと、満足して改札を出ました。
いえ、本当はこのまま品川からどこかへ新幹線に乗ってしまおうかなという誘惑に何度も駆られたのでした。
乗るだけでいいので。
*高輪を歩く*
半世紀ほど東京で生活したのに、まだ泉岳寺のあたりを歩いたことがありませんでした。
駅を出て、工事が続く高輪ゲートウェイ駅周辺からすぐのところにあります。少しだけ緩やかに泉岳寺の方へ上り坂になっているようでした。
泉岳寺までの間、何度も振り返って新幹線が通過するのを眺めたので、なんと全部で18本もの新幹線を見ることができたので、大満足です。
泉岳寺は、平日なのに訪れる人が絶えませんでした。
地図では敷地内に池が描かれていて、湧き水かもしれないと楽しみにしていたのですが、そこは入れない場所でした。
泉岳寺のそばの交差点から、北へ向かう道は上り坂になり、さらにそこから北西に向かって急な坂道がありました。伊皿子坂だそうです。
実は、この日の散歩の計画は泉岳寺までしか考えていなかったので、あとは適当に道なりに歩いてみることにしました。
伊皿子坂を上ったところに、「歯科医学教育発祥之地」の石碑がありました。
高山紀斎は米国留学で得た理想を基に ここ東京芝区伊皿子町七〇番地に明治
二十三(千八百九十)年一月、わが国最初の歯科医学校として 高山歯科医学院を設立した。(以下略)
歯科医学校が日本にできて、まだわずか130年ほどなのですね。
息を切らして坂道を上ったあとに、さらにくらりときたのでした。
*尾根沿いの三田用水跡*
さて、ここからどちらへ行こうかと交差点に立って、もしかしたら少しでも新幹線が見えるかもしれないと、北東へと続く道を選びました。
じきに右手に、三田公園がありました。
昔のお屋敷の壁をそのまま保存している中にある、区立の公園のようです。
「三田」についての説明板がありました。
三田は区内で最も古い地名の一つで、古くは、文献に「武蔵国荏原郡御田」とあります。「御田」というのは諸国に多い地名で、神領の呼び名であるとも伝えられています。後に「三田」の文字が使われるようになりました。
高輪ゲートウェイ駅でも、ほのかに磯の香りが感じられたのですが、この辺りも今でもちょっと海の香りを感じました。
今歩いているのは、「三田丘陵の昔の鎌倉街道」跡のようです。
公園の反対側を見ると下り坂になっていて、地図では平地に寺院が集まっているように見えたのですが、実際には崖下にあるようでした。
ここは、尾根筋のようです。
もしかして、ここが三田用水が通っていた場所だったのかもしれないと、2018年に三田用水が品川へ分水されるあたりを歩いた時のこととようやくつながったのでした。
尾根筋の道が下り坂になって交差点にぶつかると、反対側は、また崖の上のような場所に慶應大学がありました。
その前のバス停から渋谷方面行きのバスに乗ると、さきほどの尾根筋の下側をしばらく走ります。
昔は、海岸のそばの険しい自然堤防のような場所だったのでしょうか。
少しずつ沖へと埋め立てられ、尾根筋には三田用水が引かれたのでしょうか。
そして現代は、昔海岸だった場所を新幹線が一時間に十数本も通過している変化に、気が遠くなりながら帰路についたのでした。
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