バーベキューとか「BBQ」というと、ちょっとオシャレですが、よくよく考えると60年代から70年代はじめまで、子どもの頃はまだ庭で魚を炭火で焼いていました。
魚屋さんはなかったのですが、たまに手に入った魚を焼いたり、夏ならトウモロコシを焼いたりした記憶があります。
「炭火で焼くと、やっぱりガスより美味しいねえ」「炭火で沸かしたお湯は、やっぱりガスより美味しいねえ」と、家族で満足するのでした。
練炭コンロはふつうに家にあって、その頃暮らした山間部の官舎では、調理はプロパンガス、お風呂はオガライトという特殊な燃料を焚く方法でしたから、夕方になるとあちこちから炭火のような香りと煙が立ち込めていました。
ですから、多少、匂いが強い調理を外でしていても誰も気にしなかった時代だったのかもしれません。
しだいにお風呂もガスになり、70年代には家庭用オーブンや電子レンジの出現で外で調理することはなくなったような記憶です。
ですから80年代に東南アジアで炭火、この場合はココナッツの殻で作られた炭ですが、それで調理したものの美味しさに懐かしさも感じたのでした。
肉や魚の脂が苦手だったのに、美味しく食べられるようになったのは、この炭で焼くという調理方法のおかげでした。
*グリルとバーベキュー*
Wikipediaのバーベキューを読むと、その説明に今さらながらそうなのかと思いました。
今のバーベキューブームで広がっている方法は、「短時間の直火だけで肉を焼き食す行為はグリル」のようですね。
それに対してバーベキューは、スペイン語の「丸焼き」(barbacoa)からきているようです。
バーベキューとは、薪、炭、豆炭などの弱火によって肉や野菜、魚介類などをじっくり焼く料理、もしくは煙で、燻すその調理方や行為を指す。定義では、半日以上じっくりと火を通した豚の丸焼きなどを指す。
あのソマリアで食べた山羊の丸焼きとか、東南アジアの市場でよく売られていた鶏の丸焼きが本来のバーベキューだったのですね。
飢饉や内戦の最中のソマリアでは空腹に悩まされていたので、あの山羊の丸焼きができるまでの煙でさえ美味しく感じたのでした。
80年代に東南アジアで生活をした時に、日本ではすっかりガスと電気の生活が当たり前になって、火を起こして調理するとか、一旦起こした火を保たせるという能力にかけていることを実感しました。
もし大災害などあったらサバイバルできないかなとちょっと不安を感じたので、90年代のアウトドアブームの背景には、そういう便利な生活への不安もあったかもしれませんね。
いずれにしても炭で焼く調理方法の美味しさはやはり格別なので、屋外でやってみたいと思う人をこんなに増やしたのでしょうか。
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