散歩をする 373 前川から球磨川へ

八代城の見事な石垣の間を歩き、今回の散歩の2日目に宿泊するホテルに入りました。

雨で窓からの風景もよく見えないほどでしたが、住宅の間に川が見えました。一瞬、「球磨川だ」と思ったのですが、よくよく地図を思い出すと前川の方でした。

 

山の間を流れてきた球磨川が八代の平野部に出たあと大きく「つ」の字を描きながら西へと流れを変え、前川と球磨川に別れて八代海へと流れています。

その間にある二つの島のような場所も干拓地のようです。

航空写真に切り替えてみると山の間を出た直後に堰があり、それが広大な八代の干拓地を潤す複雑な用水路につながっています。そばに遥拝神社があり、「遥拝」というバス停があるようです。

 

きっと八代の干拓地の大事な場所に違いないと地図で見つけた時に確信したのですが、「やつしろ干拓の歴史〜わが田は緑なり〜」の「干拓と水とのかかわり」とつながりました。

 干拓地にとって、堤防と同じぐらい大切なのが農地の除塩やその後の農業のための用水です。

 八代地域では球磨川や氷川などの豊な水が古くから干拓地を潤しました。

 

遥拝堰の歴史

 遥拝堰は八代平野の農業用水及び工業用水の取入口として球磨川に造成された堰です。この堰の歴史は古く、その名は中世は杭瀬(くいぜ)、近世の頃から遥拝堰と呼ばれたようです。又、堰と用水路の鎮守として南岸の山麓に宮がつくられ、これが遥拝神社(今の豊葦原(とよあしはら)神社)です。

 この遥拝堰で取水された水は、八代平野の約5,600haの農地を潤すとともに、工業用水として利用され、平成16年度からは宇城(うき)・上天草地域の水道水としても使われています。

 

この遥拝堰と水の神様を訪ねるのが、3日目午前中の一番の計画でした。

 

 

球磨川の河口*

 

朝起きるとポツポツと雨が降っていました。5時の天気予報では「九州南部 今日も線状の活発な雨雲」とテロップが出て、鹿児島や宮崎の大雨を伝えています。八代から熊本市のあたりは大雨になるのか微妙な予報です。

東京は35度、熊本は28度の予想気温で、九州の方が涼しいようです。

 

6時20分にチェックアウトし、早朝の静かなアーケード街を抜けて前川の堤防を目指しました。

堤防の内側は、蛇行した道や段差のある入り組んだ昔からの複雑な地形が残っていました。

昨夜は濁流だった前川は静かな流れになっていましたが、茶色です。山の方は黒い雲が移動しているのが見えましたが、しだいに日が差し始めました。

堤防の途中に、徳淵の津(とくぶちのつ)」の説明板がありました。

 徳淵の津は、古代から近世にかけての港として発展し、大陸貿易の拠点となっていました。江戸時代には、加藤・細川・松井氏の港として発展し、船の泊所や荷揚げ場、番所がありましたが、今では、大理石でできた階段や堤防裏の石垣が残るのみです。

国土交通省 八代河川国道事務所)

 

海の香りが強くなり干潟が見え始め、その向こうに朝日に輝く八代海が見えました。

美しい風景ですが、蒸し暑さで汗が流れてきます。

対岸の島を通過するコミュニティバスのバス停で待つ間も、汗が引きません。

 

バスは前川を渡ると中洲のような島をまっすぐ走ります。水田が見え、そのすぐ向こうに球磨川の流れが見えました。

 

 

*遥拝堰を目指す*

 

麦島バス停で下車し、球磨川にかかる橋を渡りました。

山が近く感じます。ここから左岸側の集落を歩いて遥拝堰を目指し、50分後ぐらいに遥拝バス停から八代駅に向けてバスが通るのでそれに乗って戻る計画です。

 

こちら側にも水路があり、それをたどっていけば余裕で遥拝まで行ける予定でした。

橋を渡ったあたりから、また雨が降り始めました。

祖父母の水田を歩いているような気分になる落ち着いた家並みが続き、水田の向こうに八代駅のそばの工場が見えます。

傘を差してGPSで道を確認しながら歩くと、案外と時間がかかってしまいました。

 

国道219号線の豊原中町交差点に出ると、山の方へは「大雨通行止」の表示が出ていました。

ここから遥拝堰まではあと10分ほどです。

山の方から自動車は通過してきているのですが、どういうことでしょう。バスは通っているらしいことが分かった時には時間が足りなくなってしまい、遥拝堰は幻の計画になってしまいました。

 

でも山の方で大雨が降っていれば、時間差で下流にも押し寄せてくる可能性もありますからね。

八代清流高校バス停からバスに乗り、球磨川と前川を渡って八代駅に向かいました。

 

バスに乗る頃にはまた雨が上がりました。

 

8時22分、バスが八代駅に到着しました。駅前にもくまモンがいました。

駅に隣接する大きな工場は日本製紙でした。鹿児島本線はこの工場の周囲を弧を描くように曲がりながら通っているのですが、どんな地形でどんな歴史があるのでしょう。

駅の待合室には、明治時代の時刻表や蒸気機関車の写真が展示されていました。一世紀の風景の変化はどんな感じでしょう。

 

天気には恵まれなかったけれど、念願の八代の干拓地と球磨川河口付近の流れを見ることができました。

 

 

 

 

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