行間を読む 173 平城宮跡と平城遷都1300年記念事業

1970年代半ば中学校の修学旅行で奈良・京都を訪ねた記憶がところどころあるのですが、法隆寺薬師寺唐招提寺を訪ねたのは覚えているのでその時にこの平城宮跡も通ったのではないかと思うのですが、何も記憶がないのはどうしてだろうと改めてWikipediaの平城宮を読みました。

 

1924年から発掘調査が行われ」「1961年に初めて木簡が出土し」とあり、中学生の頃にこの辺りを通過した時には発掘調査中だったようです。

北浦定政が、自力で平城京の推定値を調査し、水田の畦や道路に街の痕跡が残ることをみつけ、1852年(嘉永5)『平城宮大内裏跡坪割之図』にまとめた。

 

あのあたりは、北側の溜池や周濠からの水によって水田が広がっていたのでしょうか。

修学旅行の奈良の記憶に水田が印象深かったこともつながってきました。

 

近鉄線が公園内を通過している理由も書かれています。

近鉄奈良線平城京を横断する形で走行している。大阪電鉄軌道が1914年に現在の近鉄奈良線を開業した際には平城京の正確な範囲は明らかとなっていたが、世間の注目も薄く(新聞紙法などの言論検閲もあり)、結果的に平城宮の中を横断する形となってしまった。このため、開かずの踏切対策を兼ねて線路を移動し高架化する移転計画が進められている。

 

これはもう近鉄線が移ってしまう前に、急いで奈良を訪ねてあの平城宮跡の草むらを横断する電車に乗らなければ。

たしかに重要な史跡ですが、あの電車が通る風景もなかなかいいのですけれど。

 

 

平城遷都1300年記念事業

 

近鉄奈良線は、平城京跡公園内に踏切があります。

葦やススキが生い茂る場所にその踏切があって、しばし電車の通過を待ったあと、目の前にある朱雀門へと向かいました。

 

どこからか屋外イベントでしょうか、音楽が聞こえてきます。

朱雀門を出ると、そこには公園の一部として整備された朱雀門広場があり、レストランや遣唐使船が池に浮かんだ場所でイベントが行われていました。

 

公園としてはこちらがわが表になるのでしょうか。

私は溜池や古墳をたどったので裏側から歩き始めたのですが、風と草の音しか聞こえない大極殿院の周囲は本当に千三百年ぐらい時間が変わらないような場所に感じました。

そこから一気に現代へと引き戻された感じでした。

 

どうやら平城遷都1300年記念事業のようです。

 

七世紀、八世紀の頃の街並みを静かに歩けるのが奈良のすごい遺産だと思いながら、現代は旅行の便利さとか人を引きつける仕掛けも必要なのかもしれませんね。

ただ、観光客のためよりはその地域の生活や歴史が記録されていくような「旅の仕掛け」の方が後々残っていくような気がしますね。

 

 

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