2018年に利根大堰を訪ねたときに、そこから見沼代用水と武蔵水路そして埼玉用水が分水されていることを知りました。
利根川右岸側の埼玉から東京の水田地帯は、江戸時代の利根川東遷事業から川の流れを変え、そして大きな用水路や溜池を作ることでできた歴史が朧げながら見えて、以来、地図で気になった場所を少しずつ歩いています。
昨年は埼玉用水と葛西用水路の合流部を訪ねたり見沼田んぼの歴史をたどりましたが、この利根川の右岸を広範囲に潤している利根大堰のことを考えているうちに、また訪ねたくなりました。
利根大堰の目的
1. 武蔵水路・見沼代用水・埼玉用水路・葛西用水路への導水を通じて東京都・埼玉県への上水道と利根川中流部への灌漑
3. 余剰水を使って当時水質汚濁が深刻であった隅田川の水質浄化
・現在でも利根川上流ダム群の水は利根大堰を経て、東京都の上水道の40%、埼玉県の上水道の70%を供給している。
2018年に利根大堰のそばにあった大きな説明板で群馬県側へも取水していたような記憶がありましたが、見沼代用水・武蔵水路・埼玉用水を追うだけでも広範すぎてとても左岸側の状況まで追いついていけないままでした。
地図でその利根大堰から左岸側への水路をたどっていると、以前から気になっていた館林周辺に大きな「沼」が点在しているところとつながりました。
散歩の計画ができました。
館林周辺の沼を訪ね、コミュニティバスを使って利根大堰の左岸へと行き、そこから歩けるだけ利根川の堤防を歩こう。
ふともう一度Wikipediaの「利根大堰」を読み返していたら、最後の「関連項目」に目がとまりました。
・中条堤ー3キロメートルほど上流にあった東京を水害から守る治水の要
利根大堰から「東京」まではかなり距離があります。
「東京を水害から守る治水の要」とはどういう意味だろうとWikipediaの中条堤の概要を読み、その規模の大きさと「何を守るために何が犠牲になったのか」が現代の感覚と違いすぎることに愕然としました。
日帰りの計画を変更し、1日目は利根大堰の左岸側を歩き、2日目はこの中条堤をたどって右岸側を歩いてみようという計画になりました。
ということで、12月初旬に近場ですが一泊二日で出かけてみました。
「散歩をする」まとめはこちら。
利根大堰と見沼代用水・武蔵水路・葛西用水路の記事のまとめはこちら。