行間を読む 180 経世済民と経済

時々目にした「経世済民」という言葉ですが、Wikipedia「経世済民」の「語義の変遷」を読んで、経済という言葉はいつ頃できたのかという疑問につながりました。

 

古典的用法としての「経世済民」「経済」

 

近世以前の日本では、「経世済民」あるいは「経国済民」が一つの言葉として用いられることはあまりなく、「経国」「済民」などがそれぞれ別個に用いられることが多かった。近世(江戸時代)になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」あるいは「経済」が盛んに用いられるようになった。その背景には、明末清初の中国で発展した考証学者による「経世致用の学」の影響を受け、日本でも儒学者蘭学者などによる同種の「経世論」(経世済民論)が流行したことが関わっている。この「経世論」の代表的著作の一つで日本で初めて「經濟」の語を署名とした太宰春台『経済録』(18世紀前半)は「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」としており、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学政経学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。

 

江戸時代にもすでに「経済」という用語があったということのようです。

 

その後、幕末から明治期にかけて「economyの訳語」として「経済」が定着してきたことが書かれていますが、その最後の方にこんな一文がありました。

また江戸時代以来の「貨殖興利」という用法も存続したため、本来の「経済」の語に含まれていた「民を済ふ」という規範的な意味は希薄となった。

 

「民を済ふ」、なんと読むのだろうと思ったら「済(すく)ふ」という読み方もあったのでした。

 

経済というと金利に翻弄されるイメージだったのでとにかく苦手だったのですが、元々はそういう意味があったのですね。

 

 

行基さんの「経世済民」から経済の語源をもう少し知ることになりました。

 

 

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