散歩の二日目だけで、つぎつぎと「水のあれこれ」が出てくる三島周辺です。
計画の段階では、源兵衛川の途中にある「水の苑緑地」のあたりで疲れてくるだろうから、駿豆線に乗って韮山へ行こうかと考えていました。
ところが源兵衛川を歩いていたら、その下流1kmほどのところにある気になっていた大きな水色の場所まで行ってみたいと気が変わりました。
おそらく境川・清住緑地のそばにあった丸池と同じ、農業用水の貯水地だろうと思います。
その南端から4本の水路が出ているようなので、そこを見てみたいと思いました。
*中郷用水記念碑と中郷温水池*
雑木林の中の小川を歩いているような雰囲気の遊歩道は途中から都市河川の遊歩道になり、君ケ沢橋のところで分水路がありました。
右側の水路をたどると、反対側に小さな水田が残っています。
緩やかに蛇行しながら橋から150mほどのところに、大きな石碑があってその先が公園になっていました。
石碑には「中郷用水記念碑」とありました。
詳細はわからないのですが、木や草花が植えられ美しい水が流れている用水沿いの公園を歩くと、国道1号線を渡ったところに大きな公園がありました。
予想していた農業用水の溜池とも違って浅い池を中心に芝生が広がり、ベンチがあり、家族連れの人たちが思い思いに過ごしていました。
ベンチからは大きく富士山も見えます。
「中郷温水池(なかごうおんすいいけ)」と説明がありました。
中郷温水池は、楽寿園小浜池の湧水を水源とする源兵衛川の終点に位置し、稲作用水としては低温な湧水を一定期間貯留し、温める池として昭和28年に建設されました。平成3年から平成10年の再整備により、自然植生が再現され、市の中心部にありながら自然と触れ合える貴重な水と緑の空間を作りだしており、多種多様な動植物の生息場所となっています。南端は逆さ富士が美しく映える絶好の撮影ポイントとしても知られており、源兵衛川とともに三島市の散策コースになっています。
湧水を温めるための浅い池だったようです。
南側へとまわると、分水路がありました。
そのうちの一本の水路をたどると、おそらく私が子どもの頃は水田地帯だったのだろうと思う場所に、比較的最近の一戸建てのおしゃれな住宅地が広がっていました。
ところどころ小さな水田と畑が残っていました。
日本が豊かになっていった時代のさまざまな葛藤を乗り越え、そして最初は公衆衛生や防災の視点で整備された公園が、一世紀を経て生活の一部になったからこその今の風景ですね。
1980年代ごろから豊かになることは贅沢ではないかという罪悪感に囚われていたのですが、散歩をするようになってからあの時代があったからこそ今の住みやすい街が実現していたのだと思うことが増えました。
半世紀前だったら、稲作のための水路や水を温める溜池の周りはこんなに人がのんびりと散策なんてできなかったですからね。
こういうことも驚異的に変化した半世紀の「豊かさ」の一つですね。
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