落ち着いた街 32 一世紀後の風景が想像できるかどうか

このところ渋谷や新宿など子どもの頃から馴染んできた街の風景が忽然となくなっていくことに、自分の人生の記憶もなくなっていくような不安定さを感じています。

いえ、思い返せば渋谷も路地に入れば1960年代は平屋建てかせいぜい2階建でしたし、西新宿は高層ビルもない淀橋浄水場跡地だったのですから、当時60代の方達もまた見慣れた街並みがなくなっていく葛藤があったのですね。

 

仕事帰りや週末にふらりと立ち寄っていた百貨店が軒並みなくなり、生活習慣も大きく変わるものだと感じています。

ただその分、交通機関の利用も便利になったり、バリアフリーや防災面での対応が進んで安全にもなりました。

 

大きく変化する中で、このところ思い出すのが「あの木は私が植えたの」と街の設計をされた方のことです。

成長するハナミズキとその街の何年後、何十年後のことを考えていらっしゃったのでしょうか。

 

あれから三十数年ほど経って賑やかに人が集まる街になり、ハナミズキが静かに存在感を持っています。

あと60年ほどしたらあの街はどんな風景になるのでしょう。懐かしい路地も大通りの賑やかさも残りながらあのハナミズキも残っているといいですけれど。

 

明治神宮の森不毛の原野だった代々木に森があるのも、誰かが将来のために木を植えてくれたからこそ一世紀後の私たちは緑の中をゆったりと歩けるのですからね。

 

安全や快適な生活のための再開発や木の伐採も必要だと思うけれど、どうしても数十年ごとにその地域の風景や生活習慣まで大きく変化してしまうので、せめて一世紀、二世紀と変わらないものも大事にした街ができるとうれしいですね。

 

風景が大きく変わると、自分の生きてきた時間までがあっけなくなくなってしまうような気持ちになる年代になったということでしょうか。

 

 

「落ち着いた街」まとめはこちら