水の神様を訪ねる 71 堤防守護の神「布鎌惣社水神社」

再び安食駅から12時51分の成田線我孫子行きに乗り、次の小林駅で下車しました。

今回の散歩の2日目の最後の訪問地ですが、午前中の佐原市内の散策よりも長い距離で、途中でコミュニティバスに間に合わなければ行き倒れになるかもしれません。

 

小林駅に降りると、目の前の中華屋さんが私を誘いました。これから歩くのにはスタミナが必要ですからね。美味しい中華丼と餃子をガッツリと食べて歩き始めました。

成田線の線路に沿って丘陵が迫ったような道を西へと歩き、北へ曲がってまっすぐの水田地帯を歩くと川にでました。

 

将監川沿いをずっと利根川まで合流する場所まで西へと歩くと、その名も「西」という場所にもう一つの水神社がありそこを目指す計画です。

橋から見える川はゆったりと川幅いっぱいに水があって、一見、どちらに流れていくのかわからない穏やかさでした。

 

お昼ご飯をしっかり食べて体力的には十分なはずが、歩き始めてわずか十数分ほどで足が棒のようになって来ました。年末の足の痛みは落ち着いたのですが、なんだか歩きにくさは残っています。ほんと「足は贅沢」です。まだ1万8000歩ですし、とにかくバス停まで歩ききらなければならないので、一旦小さな公園で休むことにしました。

80年代ごろに造られた住宅地の児童公園のようです。

それにしても伊能忠敬は健脚ですね。

 

 

将監川が見える場所に腰掛けてしばらく休憩してから静かな住宅地を歩くと、水神社へ向かう道が尾根のように高い場所だったことに気づきました。

左手の川は道よりも2~3mぐらい下で、右手は水田地帯と集落が見えはじめたのですが川と同じくらい低い場所にあるようです。

鬱蒼とした竹藪の中へと道が続き、「痴漢に注意」という警告にどきりとして思わず「無事に辿り着けますように」と水の神様に祈りました。

 

 

*堤防守護の神*

 

今まで訪ねた水神社はだいたい川を見下ろす小高い場所にあったのですが、この神社への参道は下っていきます。

将監川と利根川の合わさるの両側の堤防に囲まれた窪んだ低い場所に、布鎌惣社水神社はありました。

 

境内には御由緒はなかったのですが、検索するとこんな説明がありました。

水神社は、「通称・布鎌惣社」と呼ばれ地域の人々に親しまれています。宝暦7年(1757)4月23日に創建されました。旧24村の惣社でした。堤防守護の神として奉斎されました。昔は当地区は大瀬野と称し延宝元年に布鎌新田と改称しました。当時の代官吉田源之助が、提塘工事の重大性から人心の統一を計るため惣社として奉斎し、後に小字の11社を合祀され今日に至ります。

(千葉県公式観光サイトーまるごとe!ちばー)

 

布鎌惣社水神社本殿

宝暦7年(1757)の建立で、一間社流れ造りの彫刻が見事。昔。堤防を水から守るために、水の神様が白馬に乗って見回りしたという伝説があり、その水の神様が相撲を好んだということから、毎年10月に子ども相撲が行われている。

(栄町公式ホームページ)

 

堤防のための水の神様もあるのですね。

 

窪んだ場所にある境内から今度は北側の道へと上ると、利根川の堤防がすぐ向こうにありその間にまた水田地帯がありました。

 

静かで落ち着いた集落の中を歩いて、将監川の南側の国道356号線を小林駅方面へ少し戻ったところにある平岡官堤バス停から無事にコミュニティバスに乗ることができ、木下駅から帰宅の途につきました。

 

霞ヶ浦右岸から利根川右岸まで、充実した二日間の散歩になりました。

 

ところで、この栄町で目にした安食官堤や平岡官堤の「官堤」とは何なのでしょうか。また知らない世界が出て来ました。

 

 

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