事実とは何か 104 「狩野川台風級」の警告はどうだったのか

「狩野川台風並みの」と注意喚起されていた令和元年東日本台風でしたが、狩野川流域の被害はあまり耳にしなかったので胸を撫で下ろしたように記憶していました。もしかすると東北の甚大な被害に気が取られていたのかもしれません。

 

実際にはどうだったのだろうと検索してみました。

 

台風19号 61年前の教訓 人的被害ゼロ 「狩野川級」警告、迅速に避難 伊豆の国/静岡

 

 台風19号の勢力について、気象庁が上陸前の11日に「狩野川台風級」と警告したことで、1958年の狩野川台風で壊滅的な洪水になった伊豆の国市では住民の迅速な避難につながった。また、狩野川台風後に整備された放水路が開放されたことで、狩野川は氾濫に至らなかった。過去の記憶や教訓が流域の被害軽減につながった。【石川宏】

 気象庁が「狩野川台風級」と警告したのは19号が上陸する前日の11日。同市は午後5時に15ヶ所中3ヶ所の避難所を開設し、すぐに住民約30人が避難した。市内全域に避難勧告を発令したのは12日午前8時55分で、避難指示の発令は12日午後3時3分。その時点では避難者は653人に達した。

 最終的な避難者は、15ヶ所の避難所に3494人と公民館19館の約150人。人口4万8575人(10月1日現在)の市民の約13人に1人が避難した。同市では小さな川や水路があふれ、床上247件、床下260件の浸水被害があったが、人的被害はゼロだった。

 狩野川台風は61年前の58年9月に伊豆半島南部を通過。全国で死者・行方不明者1269人を出したが、狩野川決壊による被害が最も大きく、853人が現在の伊豆の国市函南町狩野川流域の人たちだった。

 小野登志子市長は16日の記者会見で「普段の警告なら見過ごしたが、『狩野川台風級』の言葉で避難した人は多いと思う」と話した。沼津市の頼重秀一市長も17日、「多くの市民が大変なことになると認識を持てた」と評価した。一方、気象庁の関田康雄長官は台風19号で東北地方に大きな被害が出たことを踏まえ、16日の記者会見で「住民の受け止め方は検証する必要がある」と述べている。

 

  放水路、氾濫防ぐ

 アイオン台風(48年)を教訓に狩野川では放水路が建設中だったが、狩野川台風を踏まえて放水路を大きくする見直しを行い、65年に狩野川放水路が完成した。伊豆の国市の本流から沼津市駿河湾に、毎秒2000トンを流すことができる。

 台風19号では、狩野川の上流にある伊豆市湯ヶ島雨量観測所で総降水量778ミリを記録し、狩野川台風の同739ミリを超えた。国土交通省沼津河川国道事務所は12日午前5時40分から13日午前11時10分まで狩野川放水路を開放。狩野川は12〜13日に氾濫危険水位に達したが、越水や決壊はしなかった。同事務所は、放水路がなければ狩野川の水は堤防を超えて氾濫していたとみている。

 

毎日新聞、2019/10/21、地方版)

 

浸水被害は大きかったものの、人的被害はなかったようです。

 

狩野川放水路のすぐ150mほど下流には両側の山に挟まれた狭窄部があり、その手前に古川が合流しています。

訪ねた時には晴れて穏やかな美しい狩野川の流れでしたが、濁流が押し寄せる様子を想像しただけでも足がすくみそうです。

 

治水の施設ができたから安心というわけでもなく、雨の降り方ひとつでどのような災害になるか予想をすることは本当に難しそうです。

その放水路が分かれる場所に国土交通省の管理事務所があり、職員の方々は寝ずの番でこの日も怒涛の流れを監視していらっしゃったことでしょう。

ただ、「狩野川台風の記憶」には台風の被害の甚大さと共に、放水路完成の直前に狩野川台風が起きてしまったことも伝わっているのかもしれないですね。

 

 

無念さというのはなかなか伝わりにくいものですが、やはりどこかで誰かが受け止めて伝わっていくのかもしれないと思いながらこの記事を読みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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