行間を読む 190 「狩野川と人々の付き合い方の見直しが求められている」

こちらの記事で引用した国土交通省沼津河川国道事務所の「狩野川の歴史」に、以下のように書かれています。

 

先人達からの念願であった狩野川放水路が昭和40年に完成し、治水の安全度は著しく向上しました。しかし、洪水被害の経験が少なくなるにつれ、かつての氾濫域であった田方平野を中心にした低地にまで市街化が一気に進行するなど、狩野川と人々の付き合い方の見直しが求められているように思われます。

 

田方平野の水田地帯の歴史には韮山用水の整備とともに狩野川放水路の完成もあったからだとつながりましたが、この文末を読んである年のことを思い出しました。

 

大型の台風による甚大な被害が予想されるためにニュースで「狩野川台風並みの」と何度も伝えられていたのですが、世の中の反応は今ひとつピンときていないという印象がどこかに強く残り気になっていました。

狩野川台風は1958年(昭和33)ですし、その後水害が激減した時代に入りましたからもはや記憶に残っている人の方が少ないのでしかたがないかもしれませんね。

 

 

*令和元年東日本台風*

 

あれはいつのどの台風だったっけと記録を確認すると2019年10月12日から13日にかけての台風でした。

静岡県や関東、甲信、新潟県および東北地方などで記録的な大雨となり、甚大な被害をもたらした。またこの台風は、昭和54年台風第20号以来、40年ぶりに死者100人を超える台風となった。

日本政府はこの台風の被害に対し、激甚災害、特定非常災害(台風としては初)、大規模災害復興法の非常災害(2例目)の適用を行なった。また、災害救助法適用自治体は14都県の390市区町村であり、東日本大震災東北地方太平洋沖地震)を超えて過去最大の適用となった。被災者向け避難所が最後に閉鎖されたのは発生翌年2020年3月23日、福島県伊達市においてである。

Wikipedia「令和元年東日本台風」)

 

たしか最初は静岡に大きな被害が予想されていたのですが、関東から東北地方に被害が出た台風でした。

あの年の秋には富岡から原ノ町まで原発事故の帰宅困難地域を通過する常磐線の代行バスに乗る計画だったのが東北地方に甚大な被害が出たためいったんキャンセルしたのですが、鉄道が数日間で復旧したので計画を実行できたのでした。

 

ということは2019年1月に狩野川放水路を訪ね、9月半ばには狩野川台風の跡を訪ね歩いた直後だったようです。

いやはや、記憶は曖昧ですね。

私も狩野川台風について思い返していなかったら、やはりピンとこなかったかもしれません。

 

 

狩野川水系「中部・過去の水害」*

 

「しずおか河川ナビゲーション」に「狩野川水系」の水害について書かれていました。

中部・過去の水害

近年、狩野川中部では床上浸水など多くの洪水被害が発生しています。その理由として、狩野川流域の中でも『中部は特に浸水被害が集中する地域』ということが挙げられています。

昭和40年〜平成16年の間には、85回も浸水被害が発生してしまいました。

狩野川中流域は周囲を山に囲まれているため、周囲の山地から水が集まるのに加え、平地の地域では緩やかな勾配で洪水が流れにくく、浸水の起きやすい地形となっているからです。このような状況から、近年の浸水被害発生回数は、狩野川流域の他の地域と比べて格段に多くなっています。

 

33年間に85回の浸水被害ですから、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」暇もない頻度ですね。

 

そしてこの半世紀ほどの間に人口が増えてさらに豊かな生活を求める時代になり、水辺に家を建て、そして寿命が伸びた分の長い人生の生活が成り立つような経済基盤も考えなければならなくなりました。

 

何もかもが驚異的に変化した時代に、生命も生業も守られる治水とは何か。

そんな葛藤が、冒頭の一文に込められているのでしょうか。

 

 

 

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