米のあれこれ 67 「糠田第一土地改良区記念碑」

糠田の氷川神社の境内に大きな石碑が3つありました。

 

一つは「田間宮村外二村土地改良区 解散記念碑」で、これまでの散歩では土地改良区の設立や合併の石碑を目にすることがありましたが、「解散記念碑」は初めての記憶です。

その当時のどのような思いがある石碑なのでしょう。

 

その隣りには「糠田第一土地改良区記念碑」がありました。実際には「第」は略字の方ですが、パソコンでは転換できませんでした。日本語は文字が多すぎて正確に記録していくことが本当に難しいですね。

 

糠田第一土地改良区記念碑 

 

糠田土地改良区は鴻巣市の南西部吉見町境に位置する二十五ヘクタールの畑地帯である

世界大戦後食糧難に米の増産を計る必要に迫られ昭和三十年県及び市当局の指導と補助金を得て事業費四百万円を投じて畑地灌漑事業を実施した農道用排水路揚水施設等を成し区画整理を完成した灌漑の水源を元荒川に依存したが水量に限度があり旱魃等も重なり水稲の植付も困難に陥り組合員の困苦欠乏に耐える事十余年水源を他に求めなければ解決の途なく県及び関係機関に連日に亘り陳情を重ねた結果昭和四十年新荒川に揚水機を移設して用水の確保を図る事が出来た その後水稲の植付や収穫も順調に進み組合員の生産意欲も増進されて稲作麦作も広く普及栽培され経営の安定と地域の繁栄に大きく寄与する事が出来た 設立当初の理事長渡辺章枝氏は卒先組合員の陣頭に立って献身努力を続け苦難を乗り越えて地域組合発展に盡力された功績を長く後世に伝うべく役員一同相図り設立二十五周年を期して碑を建立する      昭和五十五年七月吉日

 

 

「昭和四十年新荒川に揚水機を移設して用水の確保を図る事が出来た」

最初、武蔵水路のことかと思ったのですが、武蔵水路は1967年(昭和42)の完成ですからそれより前のことのようです。

「新荒川」は「旧荒川」に対して現在の荒川の名称なのか少し検索してみましたが、よくわかりませんでした。

 

いずれにしても戦後の混乱の時期に旱魃もあり、ちょうど私が生まれる前後数年の農業と農業のための土木事業の雰囲気を垣間見るような碑文でした。

わずか数年の差でも、私にはお米が足りなくて飢えた記憶もない世代として育ちました。

 

 

 

 

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