水のあれこれ 313 「田方平野をうるおす韮山用水」

韮山城の城池は地図だとその高低差がよくわからないのですが、韮山城の東側のUの字になった山の谷間に築かれているように見えます。

実際に歩くと、韮山高校の東側は韮山城に向かって小高い丘陵なのでその向こうに溜池の気配は感じられません。

本当にその向こうにあるのだろうかと、ぐるりと高校の敷地を迂回して北東へと歩いてみました。

 

ふと丘陵地が途切れたようになり、公園が見えました。城池親水公園と重要文化財江川邸の敷地が整備されているようです。

そこから少し南へと歩くと緑の草地が美しい堤防が見えました。

どんな溜池なのだろうとちょっとわくわくしながら、十数段ほど階段を登ってみました。

目の前には深い森にぐるりと囲まれた静かな水面が広がりました。美しい溜池です。

 

城のお堀として造られたのでしょうか。

よくわからなかったのですが実際に見ることができて満足し、バス停のある広場へと向かいました。

 

 

韮山用水だった*

 

そこに大きな案内板がありました。

 

「田方平野をうるおす韮山用水」

 

韮山用水の歴史

 歴史のまち・韮山は伊豆地方最大の穀倉地帯です。韮山の水田は韮山用水が支えてきました。

 狩野川中流東側に広がる田方平野は、古くから広大な土地を利用した稲作が行われていました。しかし河川から取水できる水には限りがあり、たびたび水不足になる不作や、用水をめぐる地域間の争いが起こりました。

 この問題を解決するため、昭和になって、当時の韮山村長(内田英雄氏)により、韮山用水の建設計画が建てられました。狩野川の水を韮山の水田に引くことが目的です。まず県営工事(昭和7年〜9年)により、狩野川の水を城池まで運ぶため、南条揚水機場、城池揚水機場の2つのポンプ場とその間の用水路が作られました。その後、村営工事(昭和9年〜19年)により、城山から韮山の水田に用水が行き渡りました。

 韮山用水は今日まで70年以上にわたって、韮山の水田416haをうるおす農業用水を供給し続けています。

 

 

韮山江川邸地区の整備

 韮山用水は、江川邸(国指定重要文化財)の前にも流れています。江川邸前では県地域用水環境整備・韮山江川邸地区として改修工事(平成13年〜15年)を行いました。この工事により、江川邸前の韮山用水を地中に埋設しました。

 用水を使用しない冬場でも、用水路の中の水は貯まっています。火事などの場合にはこの水をくみ上げて、江川邸や周辺住宅地のための防火用水として利用できます。

 用水を地中に埋設することで、その上の土地は自由に使用できます。ここでは江川邸にあわせた遊歩道をつくり、地域住民の憩いの場となるように整備しました。

 

 

地図では城池からは細い水路しか描かれていなくて、少し離れた北東の韮山山木地区に太い水路が描かれています。

てっきりこの地域の幹線水路はそちらの方だと思っていましたが、この池から暗渠になって周辺へと水が運ばれているようです。

 

城池の堤防から広場までゆったりと遊歩道があって途中の静かな東屋で休憩しましたが、あの場所が平成中頃の改修工事によるものだったとこの案内板でつながりました。

 

城のお堀がいつ頃から農業用水として使われたのでしょう。

静岡県のホームページの「東部地域施設概要:韮山用水路・城池」に答えが書かれていました。

城池

城池は、北条早雲の居城として知られている韮山城の外堀として一部が築造され、江戸時代には韮山代官の江川家の庭池でもあったといわれていますが、いつから農業用に利用されているかについては、わかっていません。

 

 

それにしても「狩野川の水を城池まで運ぶ」ための設備が、昭和初期に造られていたとは。

駿豆線の車窓から見える広大な水田地帯をうるおしているのが韮山用水だということを知ることができました。

 

 

 

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