初夏の心地よい風の中を用水路沿いに散居村を歩き、中野第二区公民館の前で駅へ戻るバスを待ちました。
庄川の堤防からわずか200mほどのところで、「想定浸水深0.5メートル」の表示がありました。
この先に幹線水路が三方へと分かれる場所が見えます。扇の中骨のように広がる用水路を地図でたどると、1本は砺波駅の北東を流れる水路のようです。
時間があれば、こうした水路のそばをただただ歩いてみたいのですけれど。
12時57分のバスに乗りました。
北陸自動車道をくぐると、散居村の風景から市街地に変わりました。
砺波高校口バス停で下車し、先ほどの分水路が流れている方向にある郷土資料館を目指しました。
散居村ミュージアムにも立ち寄りたかったのですが、旅行の日程が合わずにお休みの日でした。
砺波チューリップ公園の一角にある郷土資料館をぐるりとみて周り、公園でひと休みしようと思ったところ閉園していました。チューリップの季節が終わったための整備でしょうか。
初夏の暑さのためにちょっと疲れてきました。
資料館の前の国道359号線を渡ると樹木が植えられた美しい水路があり、さそわれるように水路に沿って歩くと住宅街の一角に小さな東屋がある休憩所がありました。
木陰でしばらく座って、水面を眺めていたら元気が出てきました。
この辺りもかつては水田のある散居村だったのでしょうか。
このあとは福井へと向かう予定で、城端線を一本早めることもできそうな時間でしたが、ここに座っていたらもっと砺波に居たくなりました。
*水田あとの公園の歴史*
途中でアイスコーヒーとクッキーを買って、もう一本西側の水路のそばにある公園を目指しました。
国道156号線を渡り、駅の方へと歩くと水路のそばにさんの川公園がありました。
白い柵の中には囂々と水が流れています。はるばる庄川用水合口堰堤から取水され、何度か分水路を経てきた水です。
小さな公園の中にここにも東屋があったので腰掛けて、水路からの水音を聴きながらコーヒーとクッキーで休憩しました。
訪ねてみて本当に良かった。頭の中にだいぶ庄川からの水路の地図も描けるようになりました。
ふと公園の端に石碑があるのが見えました。
碑 文
本地区はJR砺波駅に隣接し広域交通へのアクセス性が高いにも関わらず、土地の有効利用が遅れていた。
かかる折りに地権者並びに関係各位の協力と理解により、幹線道路および生活道路の整備、公園、緑地の整備、水路の整備、駅南口広場の整備、南北自由通路の整備、さらに駅舎の橋上化を同時に図り、砺波市の玄関口に相応した、総合的な街づくりを実施することを目的に土地区画整理事業の手法をもって造成を行なった。
約3年間の検討期間を費やしたのちに組合を設立し、六年に及ぶ施行期間を経て、この大事業の完成をみたのである。
ここに事業の完成を記念し郷土の発展を願い記念碑を建立する。
小さな公園にもそれぞれの歴史がありますね。
私の祖父の水田も一部幹線道路になったようですが、忍びなくて見に行けないままでした。
次に訪ねる時には歩いてみましょうか。
*散居村と産業*
駅前には「まると牛乳」と書かれた大きな牛乳瓶の建つ、となみ乳業協同組合の敷地がありました。
1879(明治12)年 当地で鍋澤牛乳として創業。日本ではじめて搾乳と牛乳の販売と始めたのは横浜で前田留吉が1866(慶2年)。その13年後に鍋澤牛乳が創業しており、日本での乳業としては永い歴史をもちます。
(「まるとのあゆみ」)
酪農の歴史にもまだ諸説ありそうですね。
大きな牛乳瓶の広告塔の向こうには、チューリップ公園の大きなチューリップの広告塔も見えます。
子どもの頃から「チューリップといえば富山」とどこからか知っていたのですが、有名な場所はどこなのか知らずにきました。
千保川を締め切り、庄川からの用水路が整備されることで明治期から大正にかけて、散居村とともに発展してきた産業だったこととつながりました。
もっと歩いてみたい。
後ろ髪をひかれながら、城端線に乗って新高岡駅へと向かいました。
「散歩をする」まとめはこちら。